興味深いニュースを知った。20代若者の旅券取得率が低下しているとか。何でも、この二十年で四割程度減らしい。
その報道では、「引き籠り」の延長上の内向的な若者像を連想させるようなイメージ。でも、考えれば高校の修学旅行で海外対象も増加しているから、十代後半で10年旅券を取得していれば、そうはなるよなと。
思い起こせば、確かに自分らの若い頃は、海外渡航はまだまだ贅沢で、簡単ではなかった。だからこそ、世界に羽ばたきたいとか、どうせ有名になるなら海外でといったことを平然と言っていた友人もいた。
現在は、TVの情報旅番組やネットで簡単に生の情報を見られるし、現実に長時間のフライト移動や、金銭面での負担を考えると、それらで充分行った気になりやすいとも思う。
それにテロや政情不安な場所も増加し、ならば日本にいた方が、より安心、安全と考えるのも頷ける。
でも、見聞を広めることは良いことだ。こちらの常識と海外の常識なりが違うと感じるのも悪いことではない。
ただ、出来れば少人数や個人で行くと、緊張感の度合いが違ったりして、同じ場所や似たような体験でも別視点で体験が出来て、更に面白い。
で、その結果、やはり国内旅行だなと思うのは、比較出来てこそのことではある。
昔は、自分も旅行といえば海外だよねとばかりに行っていたが、今や旅券切れのまま未更新だし、気力や体力、経済力もなくなった。
そんな自分にとっての海外体験の中で、羨ましいとか、憧れたのは高級リゾート地におけるゲストたちの立ち振る舞いというか、存在感。
いつか自分も、南の島あたりで、暑いと言いながら何もしないで、ヤシの木陰で午前中から冷えたシャンパンなど飲んで数週間過ごす的な、ことを夢想した。
大分違うが、数度だけ二泊程度で、その手のリゾートに見栄を張って行ったことがある。その時に痛感したのは、それには優雅なる人生の経験値が必要だということ。
なので、夢を重ねているのは沖縄なのかな。確かに、沖縄にも高級リゾート・ホテルはある。そこでシャンパンでもと考えるが、何度か、その手の場所にお茶だけしに行ったことがある。
その時に絶望感を覚醒させられたのは、場所柄を考えない客が大勢いたこと。そこに経験値や価値観に裏打ちされた自然な『大人』はいなかった。
そういうホテルには、その場に相応した、エレガントさが普通に醸せるゲストにいて欲しい。だからこそ高い金を払っても行きたいと。
こちらも、さりげなく襟を正しつつ、場の雰囲気を壊さず、呑まれず、馴染んで過ごす立場にやっと成れたな、と思いたい。
結局、夢は夢のまま人生を終えるのだろう。だって、平素は安酒場か食堂でチョイと呑むのが関の山なんだしな。