スタッフ
監督:エルマンノ・オルミ
製作:ロベルト・チクット、V・デ・リオ
脚本:E・オルミ、トゥーリオ・ケツィク
撮影:ダンテ・スピノッティ
音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー
キャスト
カルタック / ルドガー・ハウアー
ディスティーノ / アンソニー・クェイル
ギャビー / サンドリーヌ・デュマ
ウォイテク / ドミニク・ピノン
カロリーヌ / ソフィー・セガレン
カンヤク / ジャン・モーリス・シャネ
女店員 / セシール・パオリ
肥った男 / ヨセフ・デ・メディナ
警官 / フランコ・アルディゲーリ
日本公開: 1990年
製作国: イタリア、フランス チェッキ・ゴーリ作品
配給: ヘラルド・エース
あらすじとコメント
前回はカフェの女主人と浮浪者のドラマ。今回も、同じくパリを舞台にした浮浪者の話。パリの街の息吹を、とても魅力的に香り立たせた大人のファンタジー作品。
フランス、パリ東欧からやって来た元炭鉱夫のカルタック(ルドガー・ハウアー)。現在は浮浪者となって寒空の橋の下で新聞紙に包まって寝る生活を送っていた。
ある朝、彼は老紳士のディスティノ(アンソニー・クェイル)に声を掛けられた。彼が惨めに見えたのだろう。老紳士は現金援助を申しでるが、戸惑うカルタック。
それでも、君は悪人には見えないし、プライドもあるだろう。だが金は必要だ。もし、返すアテが出来たらバティニョール地区の教会の中にあるテレーズ像に返してくれ、と。自分も、以前、そのテレーズに助けてもらえたと告げ、200フランも差しだした。
素直に受け取ったカルタックは、すぐさま、酒場に行ってしまう・・・
酒呑みには堪らない、極上のファンタジー映画の秀作。
東欧からやってきた主人公は、知り合いもなく孤独な存在。恐らくはパリに来て、誰とも口をきいたことがないと思わせるような雰囲気も漂う。それでいてアル中である。
そんな主人公が老紳士から施しを受けたことによって、少しづつ人生が変化して行くという内容。
しかし、金を得た彼が真っ先に向かうのは場末の安酒場。そんな主人公が、翌日、床屋で髭を剃ってもらったあたりから、徐々に、人生が好転しだす。
無精髭でなくなった自分の容姿に、少し誇りを取り戻し、今までより一寸と雰囲気の良いカフェに行き、そこで知り合った男性に引越しの短期アルバイトを依頼され、正当な報酬を得る。だが、すぐにその金で皮製の財布を買い、安い女まで買ってしまう。
少し運気が上昇すると、浪費する癖もあるようだ。だが、根は真面目らしく、一挙に大金を使い果たすようなことはしない。
そこが神に見放されているようで、見放されていないと感じさせる。
何とも、ささやかな日常が描かれ、何故、彼はパリに来たのかとか、どんな過去を持っているのかとか、徐々に彼のバック・ヤードが浮かび上がってくる。
ある意味、ご都合主義の典型例として、以前の彼を知る人物たちと出会ったり、何かしらで金を得ても、また酒を飲むを繰り返し、意識では金を返そうとするが、人生は思い通りにいかないという微妙なコメディ的進行。
しかも、完全なるコメディでもないし、優しき隣人たちのヒューマニズムを謳い上げる類でもない。
しかし、だからこそ「大人のファンタジー」なのである。しかも『アル中』の。
初見の時から気に入り、何度目かで、かつて自分が、当時、唯一憧れていた人物と一緒に鑑賞したことがある。
その人物はカメラマンで、初めて欧州の素人女性のヌード写真を撮り、週刊誌に掲載。更に、様々な写真集を20冊以上出版した。
また、日本人で初めてパリ6区の一等地「ジャコブ通り」に住み、超名門レストラン「ツゥールダルジャン」から、クリスマス・カードが送られてきた最初の日本人でもある。
流れはしたが、ハリウッド映画で主役の企画が舞い込んだり、増村保造からオファーされたが、彼が欧州放浪中で連絡が取れず、別な男優で映画化されたり、「ぼくの伯父さん」(1958)のジャック・タチの晩年作にチョイ役で出演を果たした。
あまりにも興味深いエピソードの多さに、いつか彼の伝記を書いてみたいと思ったほど。
しかし、親しくなった頃は、すでに絶頂期を過ぎ、余り幸福ではない晩年を送っていた時期でもあった。
案の定、パリが舞台の本作を観て、「まさしくこれは自分だと」と感慨深げに呟いた姿が忘れられない。
現代のパリの場末なり、決して綺麗ではない部分を、これほど魅力的に撮った映画もないと感じている。
「異国」として憧れる『花の都パリ』ではなく、低層に生きる人間たちの息吹に、絶望感よりも憧れを感じさせる稀有な作品。
間違いなく、アクションや悪役のイメージが強いルドガー・ハウアーの最高作であり、イタリア人で、自国フランス人ではないエルマンノ・オルミ監督の微妙な距離感と僅かばかりの希望と、ほんの気持ち程度の優しい眼差しに、心地良い二日酔い状態に浸れる秀作。