スタッフ
監督:エルマンノ・オルミ
製作:ジュゼッペ・チェレーザ
脚本:エルマンノ・オルミ
撮影:マウリツィオ・ザッカロ
音楽:ゲオルク・フィリップ・テレマン
キャスト
リベンツィオ / マルコ・エスポジート
秘書 / マリーサ・アバッテ
口髭の男 / ルイジ・カンチェラーラ
老婆 / ジョヴァンナ・ヴィドット
コリンナ / シモーナ・ブランダリーセ
マーオ / シモーネ・デラ・ローサ
アンナ / ステファニア・ブサレッロ
チッチョ / ロレンツォ・パロリーニ
ピージ / タルチシオ・トーシ
日本公開: 1989年
製作国: イタリア ライ・ラディオテレヴィジョーネ作品
配給: 大映
あらすじとコメント
今回もエルマンノ・オルミ作品。滋味深い人間ドラマが印象強い監督であるが、今回のは何とも独特のタッチで描かれる不思議な作品。
イタリア 北東部グリーニョ山奥にある古城ホテルに十代の若者6名が雇用されてやって来た。
その中に大きな眼鏡姿のリヴェンツィオ(マルコ・エスポジート)がいた。まったくの新天地で、初めて社会人として仕事に就く。不安以外何ものでもない表情だ。それは彼以外の少年らも同様である。
すぐさま彼らはホテルに連れて行かれ、仕事内容のレクチャーを受ける。どうやら今夜は大事な晩餐会が催されるらしく、多くのスタッフたちが、すでに仕事を始めていた。リヴェンツィオたちも、すぐさま制服を支給され、右も左も分からぬまま配膳の準備を指示される。
そして、緊張がマックスに達しながら晩餐会が始まって・・・
無垢な少年と虚構に満ちた大人たちの世界を描くドラマの佳作。
中学をでて社会人となり、いきなり見知らぬ場所で働くことになる少年たち。
恐らくは貧しい田舎の家庭の子供たち。あどけなさが残り、喫煙や飲酒といった背伸びするようなタイプはいなさそうだ。
一方のヴェテラン・ウェイターたちは、ミスをすることもなく、かといって仕事が心底好きという職人的矜持もなさそうな面々。
そして、一番奇妙に見えるのは晩餐会の出席者たち。
主賓は老婆。招待客は世界各国の政財界のお歴々たちのようである。
しかし、どうやらその主賓は絶対的権力者らしく、誰一人歯向かうものはいない感じもある。否や、内心忸怩たる思いを秘めている招待客もいそうであるが、それにしてもあからさまではないし、自分のポジションを賭してでも意志を貫こうとする輩もいない。それでいてセコい自己主張を繰りだす。
つまり日和見主義者というか、長いものには巻かれろ的スタンスの中での存在感。
そして老婆の嗜好だが、食事はどれも何と「ゲテモノ系」。普通の人間たちから見ても、おかしいと感じる設定だ。
世間を知らぬ主人公たちには、いきなりのカウンター・パンチである。しかし、それでも緊張しながら仕事を続けなければならない。
要は、無垢そうな少年たちが、嫌でも脱皮していかなければならない『大人』へのステップを描いている作品。
ところが、誰が見ても単純で解りやすい作劇ではないから始末に悪いのである。
ハリウッドともフランス映画とも違う独自の視点で描いていくオルミ演出が、実に興味深い。
台詞を多用せず、大事な言葉や会話は、耳打ちで語られ、こちらには伝わらない。ある意味、サイレント映画のようなティストを醸しだしている。
更に画面にしても、幽霊でもいそうな古城という設定でもあり、きらびやかで明るい照明は存在しない。
どれもが、中途半端にしか描かれず、こちらのジレンマを喚起させる。
内容としては、たった一日の話であるのだが、主人公の少年には『人間』というのは業の深い生き物であり、それを隠したまま生きる「大人」の生き様を感じ取ってしまうような体験なのだ。
そして、中盤で彼の父親との予期せぬ再会というワンクッションが入ったことで、終盤で少年が、何を感じ、それを行動に移す場面は、さもありなんと思わせてくる。
そんなラストでの主人公の行動に深く関与するのが大型の番犬。その「犬」が比喩することが、こちらに鳥肌を立たせながらも脱力感を喚起させるという皮肉。
鑑賞していくに連れ、登場人物の大人の誰かが自分に重なるような作劇に惑わされ、一挙に、ラストで、大人として鑑賞して来た自分に冷や水を浴びせられる。
いやはや、良い意味での、何とも嫌な監督である。