余談雑談 2016年9月10日

先週末、読者でもある友人と飲んだ。話題は「シン・ゴジラ」一辺倒。<番外編>で扱ったこともあり、互いの印象から大いに盛り上がり、若いながらも博識と見識を持っていて教わることも多く、楽しい時間を過ごせた。

その時に、彼から新情報を得た。「シン・ゴジラ」が東京では一番好きな『日劇』で、期間限定ながら「凱旋公開」をやっていると。

当初、そこで公開しているとばかり思っていたが、上映していなかったので別なシネコンで鑑賞した。考えれば、そこは大作洋画専門封切館。どこで勘違いしたのだろうか。

東京で生まれ育った自分としては、やはり有楽町か銀座の大きな封切館で鑑賞するのが好きだった。それが再体験できる。

喜び勇んで、翌日の夜に観に行った。久方振りの劇場を懐かしく思いながら、幾分古くなった椅子に陣取り、眼前のスクリーンの高さが、これぞ映画館てな懐かしさに、妙に胸が高鳴った。

何せシネコンは急階段式の形状。確かに、そこそこのスペースに幾つものスクリーンを設置できる利便性はある。前列の人の頭が邪魔ということもないし、ご丁寧にドリンク・ホルダー付ひじ掛けまである。実に合理的な作りではある。

ただし、座席の選択を間違うとスクリーンを見下すような視点になり、興が削がれることがある。実は沖縄で見たときに、それを感じた。

銀幕は見上げるものという刷り込みがある自分は、どうしても違和感を覚える。特に、ゴジラのような巨大さを感じさせる作品には絶対である。

何とはなく神目線というか、普段ではありえない視線で見続けるのは、どうにもミスリーディングされるとも感じる。

また、SFやパニック映画以外にも実は日本の小津安二郎映画も絶対に、シネコンではない映画館で見るべきである。

以前にも書いたと思うが、学生時代の同期で映画のカメラマンが、やっと一本立ちした頃、劇場で初めて小津作品を観て、興奮しながら電話をかけて来た。

小津独特の低い位置からの卓袱台を囲む家族が、きちんと並んでこちらを見て話す場面は、あれは観客が小さな子供というか赤ちゃん目線で、家族が自分を見守っているという安心感を与えるためのカメラ・ワークだと。事実、彼はずっと大画面で白黒映画を見ながらも、母親に抱かれる赤子のような安心感に包まれ続けたと。

間違いなく小津は、テレビ普及前に映画は劇場で見上げながら観るものと解った上で、敢えて、ずっとあの視点で描き続けたのだろうと。

激しく同意した。つまり、小津映画をシネコンで見ては、自宅で寝っ転がって見たのと同じように、単調で起伏のないつまらない映画と感じるだろうから。

なので、刷り込みというか、思い入れもあるだろうが、四度目の鑑賞であったが、今回が最高であった。まったく違う映画を見ている感覚になれたから。

だたし、あれだけの大劇場ともなると様々な観客がいたのも事実。それに、何よりもアトラクションとして楽しみたいのか、キャラメル・ポップ・コーンの甘ったるい香りと紙コップの飲み物をすする音など、異音と異臭には閉口した。

そんな内容じゃないのにな。

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