余談雑談 2016年11月19日

来週は「勤労感謝の日」がある。週の中日の休みだが、連休の方が好きとかいやいや、中日の方がリセットできると仰る人もいる。そもそも、その日に休めない職種だと言う人も昔から大勢いる。

兎に角、日ごろ一所懸命働いている方々のための呼称だろうが、実は五穀収穫の祝い『新嘗祭』でもある。

まあ、キリスト教系のイベントが好きな現代人からすると、五穀やら新嘗祭など書けもしなけりゃ読みも出来ないだろうが。

それに今年は、同日が『酉の市』の二の酉と重なる。

自分は、一の酉の午前中に詣でたが、それなりの人出で驚いた。しかも、この二十年以上、温暖化の所為か「お酉さま」は寒いという定説を外してきたが、その日はとても寒く、これぞ酉の日と感じた。祭日だと、天候にもよるだろうが午前中から多くの人が訪れるに違いない。

そもそも酉の市は、何でも起源は神教と仏教で異なるらしいが、どちらも農民のためのものだったらしい。

確かに、酉の市で売られる「熊手」は農機具である。それが商売繁盛の商人用に変化したのも周知の事実。

尤も、商売繁盛系の豪華なものは「縁起熊手」と呼ばれ、神社で売られる竹製の質素な「熊手守り」とは違う。

それに熊手は、別称で「かっこめ」とも呼ばれている。これだって、金銭を「掻き込む」の派生とか言われるが、実際は、注文なり納品が増加するよう帳面に「書きこむ」ことらしい。

掻き込むという行為は、どうも東京下町の人間としては、野暮ったいとも感じる。だが、その発想だって、欲しいくせに格好付けてる見栄っ張りだからと揶揄されたりもするのだが。

どの道、時代と共に名称や意味合いが変化していく。となるとクリスマスやハロウィンも都合良い変化をしていき、「日本」の歴史的歳時になったりするのか。

一方、「熊手」からの発想でもないが、このところ冬眠前の熊の襲撃が増加中だ。これも自然界と人間社会の乖離による時代の変化なのだろうか。

まさか、熊手は熊避けには出来ぬし、ならば、今から出向く温泉地で、熊を鍋で「かっこむ」ことで運を呼び込むか。

まあ、そもそも下町には、熊など出やしないのに。

結局、サボり好き呑み助の言い訳か。

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