スタッフ
監督:ピート・ジョーンズ
製作:ベン・アフレック、マット・ディモン、他
脚本:ピート・ジョーンズ
撮影:ピーター・ビアギ
音楽:ダニー・ラックス
キャスト
オマリー / エイダン・クィン
マーガレット / ボニー・ハント
ジェイコブセン / ケヴィン・ポラック
ケリー神父 / ブライアン・デネヒー
ピート / アディール・スタイン
ダニー / マイク・ワインバーグ
パトリック / エディ・ケイ・トーマス
ジェイコブセン夫人 / リサ・ドッドソン
シーマス / ライアン・ケリー
日本公開: 2003年
製作国: アメリカ ミラマックス・フィルム作品
配給: メディア・スーツ
あらすじとコメント
前回の発行番号に誤りがありました。Vol.589ではなく、Vol.588でした。訂正し、お詫び申し上げます。まあ、誰も気にも留めてないでしょうが。
前回は犯罪者を『キリスト』と間違える子供たちの話。今回も『神』を巡る子供たちの姿を描く感動作を選んでみた。しかも、俳優が自身は出演せずに制作にまわった点でも共通する、些か、あざとさも感じるが、それなりに良く出来た作品。
アメリカ シカゴ1976年の夏休み直前のこと。9月から3年生となるピーター(マイク・ワインバーグ)は、8歳半になる少年。父親(エイダン・クィン)は、アイルランド系の敬虔なクリスチャンで、八人の子供を持つ、命をも顧みない熱血消防士だ。
カソリック系の学校に通うピーターは、担任から学年を通して成長しきれていないから、夏休みに何をするべきか考えなさいとの宿題を受ける。真面目なピーターは自分なりに考え、他宗教の人間をカソリック教徒に改宗させれば、天国に行けるのだと知り、ユダヤ人地区の会堂に向かった。
見かけぬ少年を認めた教会のラビ、ヤコブセン(ケヴィン・ポラック)が声を掛けるとピーターは素直に自分の主旨を話した。本来であれば拒絶するべき内容であったが、ラビは少年の行動を許した。ところが、そんな単純に事が運ぶはずもない。
数日後、会堂に行くとラビが大慌てで出掛けようとしていた。何と、ラビの家が火事で、中に7歳のひとり息子が残されているというのだ。自転車で追いかけるピーター。
燃え盛る自宅に呆然とするラビとピーターの眼前で、仲間の制止を振り切り、中から子供を救出したのはピーターの父だった・・・
異宗教間に横たわる問題を少年たちの純真な眼で追う感動作。
学はないが家族を愛する、いかにものアイリッシュ男。そんな父親は、絶対君主でもあり、18歳の長男を筆頭に、皆服従している。
その子供のひとりがユダヤ教ラビの病弱なひとり息子を改宗させようとしたことから、双方の両親や大人たちを巻き込む問題へと進んでいく内容。
異宗教に寛容というか、敬虔なる単一宗教観で生きていない人間も多い日本人からすると、理解に苦しむ内容であろうか。
しかし、宗教とは戦争にまで発展するものであり、自ら信じる宗教こそが人類と世界を救うと信じている人間も多い。
ところが子供たちは別だ。素直に考え、行動するから大人たちからすれば、自らの価値観を試されることになる。
消防士の父親は、学も金もないことに劣等感を感じているが、それは置かれた立場であり、自分の価値観が正しいと信じるから、子供たちにもそれを強要する。
一方のラビも改革進歩派と誤解される。更に、年長のカソリック神父も登場し、大人たちの価値観と劣等感がぶつかっていく。
異宗教への理解を示そうとする内容であるが、大人たちに熱く語らせるのではなく、純真無垢な子供たちに代弁させているので緩衝材的な効果は醸されているし、作劇も鷹揚で静か。
ただ、ユダヤ人の少年が、改宗を試みる少年より年下であるので主従関係ははっきりとしているし、まして、白血病患者とくれば、ラストは浮かぶというもの。
予定調和であり、大人が考えて練り上げた脚本を子供に代弁させるという点で、妙に鼻に付くところも散見はするが、静かな進行と敢えて劇的に盛り上げるような場面で綴らないことは評価できる。
有名スターは登場しないが、子役も含め適材適所という印象で、それぞれが上手い演技を披露しているので、地味ながらも上質な印象を受ける。
素直に鑑賞できるかどうかが、本作の印象の分かれ目だろうか。
観る側に、異宗教にどれほど理解を示し、寛容になれるかという主旨の判断を迫られる作品。