余談雑談 2017年1月21日

氷点下の朝が続いた東京。みぞれが混じったりもしたが、一挙に豪雪になった地域の方は、さぞ大変だったろう。

こちらは雪が積もらなかっただけマシだが、いつになく寒い夜明けを連続体験した。

それでも、数分単位ながら夜明けが早くなってきている。春への小さな一歩というところか。

テレビの音量も早朝ゆえ、通年を通して同じ小のレベルにしているが、それでも、夏場よりも幾分か大きく聞こえるのは乾燥の所為かな。

そんな紅の夜明け空を眺めながら、ふと、高村光太郎の「千恵子抄」を思い浮かべた。『東京には空がない』というアレである。もう、これが言われ続けて久しい。

確かに、東京はスクラップ&ビルドで未だに高層ビルが増加し続けている。地元近くでも高層マンションが出来、いきなり強風が吹く「ビル風」を知らぬ老人が自転車ごと転倒し、腰を強打したり、頭を二針縫う人も出たと聞く。

背の高さもあっただろうが、自分の子供時代は建物こそ密集していたが、見上げると、どこからでも空が見え、広さを感じた。

尤も、現在も9階に住み続けていて、眼下には、『春のうららの』と歌われる一級河川が流れているので、対岸まで視界を遮るものはなく、視野は広い。ただ、邪魔なのは最長電波塔。

それでも、川向うを走る首都高速の車の走行音が響き渡って聞こえるのも乾燥の所為だろうな。寒さゆえにクリアさが際立つ視界。耳から体の奥に染み入る音。

東京は通過するだけの輸送トラック、普通の車は出勤なのか、それとも帰宅なのか。8時前には渋滞となる眼前の首都高だが、明けきらぬ早朝は快走している。

ふと、考える。地方から上京し、学生や社会人となり、都内、もしくは近郊に暮らし満員電車に揺られて通学通勤し、それが続く人生。

帰省に閉口したり、親族縁者との関係がギクシャクしたりと故郷を面倒がる人も多いとか。

それでも、帰れる場所がある人は羨ましい。自室と実家が人生のメインであり、しかも、1キロと離れていない生活。

かつて、海外に何度も渡航したが、居住という面では地元しか知らぬ。「井の中の蛙、大海を知って井に戻る」てな心境か。

否や、どうせ無いものねだりさ。やはり、心の中まで乾燥しているのかね。

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