スタッフ
監督:デヴィッド・リーン
製作:ノエル・カワード
脚本:D・リーン、ロナルド・ニーム、A・ハヴロック・アラン
撮影:ロナルド・ニーム
音楽:リチャード・アディンセル
キャスト
コンドミン / レックス・ハリソン
ルース / コンスタンス・カミングス
エルヴィラ / ケイ・ハモンド
アーカチ女史 / マーガレット・ラザフォード
ブランドマン医師 / ヒュー・ウェイクフィールド
ヴァイオレット / ジョイス・ケアリー
エディス / ジャクリーン・クラーク
交通警官 / ジョニー・ショフィールド
ナレーション / ノエル・カワード
日本公開: 1951年
製作国: イギリス トゥー・シティーズ・フィルム作品
配給: BCFC
あらすじとコメント
「幽霊」繋がり。前回までは、死ぬに死にきれない人間たちをメインに据えたコメディ・ファンタジーを扱ってきた。今回は、霊媒師のおかげで、愛する亡き妻が亭主にだけ見えるようになる、名匠デヴィッド・リーンの数少ない喜劇にして佳作。
イギリス、南東部フォークストン小説家コンドミン(レックス・ハリスン)とルース(コンスタンス・カミングス)は再婚同士。
彼は新作の取材を兼ね、医師の友人夫妻と共に、霊媒師のアーカチ女史(マーガレット・ラザフォード)に実演してもらおうと降霊会を催した。とはいっても「インチキ霊媒師」が起こす殺人事件という小説の取材であり、全員が嘘八百の霊媒を確かめようとする冷ややかな視点である。
いよいよ女史による降霊が始まり、テーブルが動いたり、それらしい事象が起きるが、結局は失敗に終わる。そら見たことかと、冷笑する四人。
だが、会がお開きになった後、突如、何故かコンドミンだけに7年前に死んだ先妻エルヴィラ(ケイ・ハモンド)が見えてしまう。
彼女は、アンタに呼ばれたから来てやった、と・・・
イギリスらしいシニカルなユーモアに溢れたコメディの佳作。
原作はイギリスのノエル・カワード。男女三人の奇妙な関係を描いたエルンスト・ルビッチの傑作「生活の設計」(1933)、不倫メロドラマの秀作中の秀作「逢びき」(1945)など、非常にシニカルな視点で男女を描く作家でもあり、役者や監督もこなす御仁。
本作も、彼独特の何ともイヤらしい視点による進行である。
7年前に死んだ先妻が、降霊してきて主人公にだけ見える。しかも、勝気というか、身勝手な女性だったようで、いきなり喧嘩腰で会話が始まる。
ところが、当然、先妻の姿も、声も感じ取れない現在の妻は、いきなり自分が侮辱されたと勘違いし、怒りだす。
何ともユーモラスというか、厄介な展開をみせていく。観客には幽霊である先妻の姿は見えるので、不思議でもない。
CGなどが発達するかなり以前の作品なので、合成や特撮はチープではある。しかし、死に化粧というか、全身緑色のトーンで統一した先妻のメークは見事で、それらしく見えるから大したもの。
そんな状況から、主人公は周囲から変人扱いされ、ならばと現妻は霊媒師を訪れて何とかさせようとする。
ところが、霊媒師も、あくまでも偶然であり、自分でも詳しい除霊方法は分らないと仰りながらも奮闘し始めるという展開。
先妻はといえば、常に主人公夫婦に付きまとい、現妻の性格の悪さを列挙していくから堪ったもんじゃないのは主人公である。そのうち、先妻に感化されだすから笑うに笑えなくなる。
一方の妻は、すべては霊媒師の所為だとばかりに責任を押し付けていく。
妻同士が中々、厄介な性格ゆえ、男としては何とも背中がムズムズしてくる寸法。
緩衝材となるのは、せっかちな若い女中と霊媒師の女史。特に、霊媒師を演じるマーガレット・ラザフォードがすべてを掻っ攫う演技を見せて秀逸。
いかにも怪しい職業ながら、爛漫というか、チャーミングな変わり者中年女性というスタンスで、何とも憎めない。
途中から、更にややこしい展開となるが、それによりラストは想像が付くのは時代性を感じるが、それでも後の大巨匠デヴィッド・リーンの少し、手間取った感のあるコメディ演出は嫌いではない。
大人の身勝手さが炙りだされるコメディ展開は、映画が娯楽の王道であった良き時代を喚起させてくれる。