地元にある立ち飲みワイン屋。新規開拓もせず、お気に入りが続々と閉店した中、最近はここばかり。
二坪程度の店で、小さな厨房と受け渡しのカウンターがあるだけ。客は路上で飲むスタイルだ。要は、キッチン・カー的な商売形態。
一杯幾らで、キャッシュ・オン・デリバリーだし、余計なチャームも取られないので安心である。
オーナーはイタリア北部の方で、日本人がマスターを委託されているが、先代は体調を崩して離職。現在は30代男性が二代目を継いだ。
周囲は、「煮込み屋」が多く並ぶ地帯で、そっちは連日大盛況。そんな中では、かなり異質な店で、そこだけは客がいないこともある。
当然、その状態の店に行くのは好きである。そこだけ異空間だからだ。
だが、若いマスターに代わったので、客筋が若い女性や、欧米系観光客も立ち寄る店にと変化中でもある。となると自分のような人間は、珍妙な客として見られるのだろうが。
黄金週間中、混雑する周囲を見つつ、立ち飲みをしてたら『流し』が来た。一曲幾らで歌を唄ってくれる懐かしき商売である。若い男女で、男がギターを抱え、古臭そうな服を着て『ザ・昭和』を演出してた。
煮込み屋や安酒場には似合うが、イタリア・ワイン屋には合わないよな。それでも、妙な猥雑さが似合う場所。ただし、観光客は彼らが何をしているのか解らないのか、不思議そうな顔をしているのが可笑しかった。
そういえば、地元で若者たちだけのチンドン屋も登場し、レトロを売り物にした「古着屋」や「金魚すくい」まで開店し、当時を知る自分としては、ある意味、心強い。
だが、どうにも違和感を覚える。その手のものが当たり前にあった当時を知っているからだろう。
それでも、昔スタイルに憧れる若者らが、失われた文化風俗を復活させようとするのは良いことだ。出来れば、ホンモノの師匠にでも付いて教えて貰えば、継承という点では、また違うのだろうが。
文化は時代とともに変化していく。そもそもそんな場所にイタリアワイン専門の立ち飲み屋が出来たことだって違和感を覚えなければいけない。
よし、今度『流し』を見かけたら「オ・ソレ・ミオ」でもリクエストしてみるか。それじゃダメなら、田端義夫か、小畑実あたりかな。
出来そうにない注文をする。こういう発想が先ず浮かぶから、面倒臭くて嫌味な奴と思われ、敬遠されるんだよな。