スタッフ
監督:ノーマン・ジェイソン
製作:ノーマン・ジェイソン
脚本:ウィリアム・ローズ
撮影:ジョセフ・バイロック
音楽:ジョニー・マンデル
キャスト
ウィテカー / カール・ライナー
エルスパス / エヴァ・マリー・セイント
マトックス署長 / ブライアン・キース
ラザノフ / アラン・アーキン
ジョナス / ジョナサン・ウィンタース
ホーキンス / ポール・フォード
艦長 / セオドア・バイケル
アリス / テシー・オシェア
コルチン / ジョン・フィリップ・ロー
日本公開: 1966年
製作国: アメリカ ミリッシュ・コーポレーション作品
配給: ユナイト
あらすじとコメント
「風とライオン」(1975)で、実在の大統領を演じたブライアン・キース。今回は田舎町の警察署長で登場。米ソ冷戦時代の何とも牧歌的なコメディ。
アメリカ、ニュー・イングランドとある島で避暑中の劇作家ウィテカー(カール・ライナー)、妻エルスペス(エヴァ・マリー・セイント)と息子の家族が朝食を摂っていると、いきなりソ連潜水艦の乗組員ラザノフ(アラン・アーキン)ら9名が姿を現した。
ウィテカーは、すぐさま警察に通報。だが、電話交換手から警察署長マトックス(ブライアン・キース)、それから部下に情報を流す内に、当然、尾ひれが付き、誤情報が拡散。島民らは自警団を組織すると言いだし、収拾が付かなくなる始末。
しかし、実際はマヌケな艦長が、陸地に近付き過ぎて潜水艦が座礁し、曳航するボートを探しに来ただけだったが・・・
田舎の住民が誤解から誤解を増幅させるコメデイ。
米ソが核戦争一歩手前まで行った「キューバ危機」。当然、製作当時も冷戦は続いており、核戦争を扱った作品が何作も輩出されたが、ほとんどがサスペンスであり、暗い印象なものが多い。
秀作「博士の異常な愛情」(1964)は一応のコメディではあるが、シニカルで笑えない。そんな中での本作である。
確かに核が絡んだり、政府首脳がでてきたりしないのだが、逆に市民レベルの驚きぶりが、さもありなんと思わせる展開。
直通電話もない島で、情報量も少ないからこその『風聞の流布』が、小市民の恐怖と混乱を増大させていく。
中には、勇敢にも闘おうとする集団から、ただ右往左往する人間など様々だが、一方のソ連側だって状況は同じ。何せ、お互いに、相手に対する「恐怖心」のみが植え付けられているので、驚きつつも何とか善処しようとする。
そこをコメディとして描いて行く。根っからの悪人はおらず、善人というか、気の弱い思い込みゆえ虚勢を張ろうとする輩が多いから始末に悪いという展開。
確かに、お互いの誤解から、一触即発な事態にもなるのだが、どうにもユルい展開で見せて行くから、観ているこちらの恐怖心は喚起されない。
主題は人間同士の融和であるのは簡単に理解できる。しかし、実社会では、いつ何時、核戦争が起きるかもしれないという時代である。
だからこそ笑い飛ばそうとしての制作だろうが、爆笑というよりはニヤニヤ、クスクスという作劇。
一応の主役である劇作家役のカール・ライナーが、以後、監督として、スティーヴ・マーティンとコンビを組み、コメディ佳作を連発して行くのが興味深い。
逆を言えば、俳優としては個性が感じられないので、本作でも印象が弱いのが笑える。
冒頭タイトルのお互いの有名民謡を比較させつつ勢力を誇示し合おうとするアニメーションも面白い。
出演陣も、誰も極端に目立とうとしない大袈裟な演技がない分、妙にバランスがとれているとも感じる。
ただ、もしこれを現代社会で再現しようと思ったら、アメリカの仮想敵国はどこになるのだろうかと想像すると、コメディでは無理だよなと、妙に複雑な心境にも陥る作品。