スタッフ
監督:ダグラス・サーク
製作:ロス・ハンター
脚本:エリナー・グリフィン、アラン・スコット
撮影:ラッセル・メティ
音楽:ジョセフ・ガーシェンソン
キャスト
ローラ / ラナ・ターナー
アーチャー / ジョン・ギャヴィン
スージー / サンドラ・ディー
サラ / スーザン・コナー
ルーミス / ロバート・アルダ
エドワーズ / ダン・オハーリィー
アニー / ファニタ・ムーア
フランキー / トロイ・ドナヒュー
アネット / サンドラ・グールド
日本公開: 1959年
製作国: アメリカ ユニバーサル作品
配給: ユニバーサル
あらすじとコメント
メロドラマの巨匠ダグラス・サーク。女性が地方からでて来てスターを目指すのだが、同系列の作品の殆どは現実は厳しいと悟らせる内容が多い。本作も、人生は簡単じゃないと描いて行くのだが、何とも意匠の変わった内容にして秀作。
アメリカ、ニュー・ヨーク小さな娘を連れ、ブロードウェイで看板女優になりたいとやってきたローラ(ラナ・ターナー)。
元々は、地方で活躍していたが、演出家だった夫に先立たれた挙句の行動であった。しかし、そう簡単に女優の仕事があるわけでもなく、夏の日、娘を連れて海岸に遊びにきた。ところが、混雑した海水浴客の中で見失い、狼狽するローラ。
その様子を撮影していたのが、芸術写真家志望のアーチャー(ジョン・ギャビン)で、一緒に探してくれると言ってきた。程なく、娘は黒人のアニー(ファニタ・ムーア)母娘と一緒に遊んでいるところを発見する。礼を言って去ろうとするが、アニーは格安で働き者の家政婦はいらないかと尋いてきた。
職探しで日中留守勝ちのローラにとっては渡りに船であったが、何せ、彼女も無職であり、給料など払えるわけがなかった。
それでも、黒人の母娘を不憫に思ったローラは、一晩だけ泊まって良いと告げて・・・
白人と黒人母娘二組の波乱に富んだ人生を描く見事なる人間ドラマの秀作。
大スターを夢見て娘とNYにでてきた『白人女性』。
方や、頑張り屋で、どこか悟りまで開いている感のある『黒人女性』と、ヒロインの娘より二歳年上の彼女の「色白」の娘。
メインはこの女性四人。そしてヒロインに恋に落ちる写真家志望の好青年が絡む。
ストーリィは、ヒロインが、黒人母娘をメイドとして雇うことになり、そこから少しづつ幸運が重なり、汚い裏事情に流されることなく正攻法で成功を収めて行く展開。
だが、それによりヒロインに恋する青年や、娘にその反動が覆い被さる。
ありがちといえばありがちな内容。ところが、本作の特筆すべき点は、黒人の家政婦母娘の存在。
映画は二部構成になっており、成功を収めたヒロインが10年後、更なるステップ・アップを図るというのが第二部である。
そのとき、娘は16歳で、家政婦の娘は18歳に成長している。
これがこの作品の鍵である。それまで脇役として描かれてきた黒人母娘に、スポットが浴びせられ、急にヒロインが脇役へとシフト・チェンジされて行く。
確かに、ヒロインはヒロインのままで、現在でも上昇志向。キャラクターは終始一貫している。
だからこそ先が読めるとばかりに、歳を重ねた家政婦母娘の存在が急激にクローズ・アップされていく。
特に色白のため、黒人ではないと嘘をつき通そうとする娘が辿る人生が関心をそそる。
カメラマン志望の青年は第二部にも登場して絡むのではあるが、やはり女性四人のそれぞれの生き様というか、人生観が主軸という完全に「女性映画」。
まるで、日本の成瀬巳喜男の作品のような設定と展開なのである。
この女性四人各々のスタンスが『似て非なるもの』として描かれるのが興味深い。
冒頭こそ、母二名には「したたかさ」を感じさせるが、白人で上昇志向の強い野心家と、脇に徹しているが人間の尊厳を忘れない黒人の差異。
白人の娘は留守がちの母親の代わりに家政婦の影響を受け、天真爛漫に成長する一方、もう一人の娘は黒人であるという劣等感から母親を忌み嫌い、肌が白いのを良いことに、何とか白人として生きたいと必死に願う。
この四者四様の価値観の違いが、それぞれに影を落として行く。
そういった設定を見事に紡ぐダグラス・サーク監督の力量は見事。
綺麗なオール・カラー画面。メリハリの利いた撮影と効果的に流れる旋律。
特に、さりげない中、観る側に不意に不安感を覚えさせる演出など、まったくもって成瀬的。
田舎出の女性のサクセス・ストーリィーと思わせつつ、まったく違う世界に引き込まれる愉悦。
出演者の中では家政婦役のファニタ・ムーアが圧倒的で、他の追従を許さない。
映画自体が変化を遂げて行く1960年代の直前に製作された、良きアメリカ映画の作劇を堪能できる女性映画の秀作。