哀愁の花びら – VALLEY OF THE DOLLS(1967年)

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スタッフ
監督:マーク・ロブソン
製作:ディヴィッド・ワイスバート
脚本:ヘレン・ドイッチュ、ドロシー・キングズレー
撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ
音楽:ジョン・ウィリアムス

キャスト
アン / バーバラ・パーキンス
ニーリー / パティ・デューク
バーク / ポール・バーク
ジェニファー / シャロン・テイト
ヘレン / スーザン・ヘイワード
アンダーソン / マーティン・ミルナー
ギルモア / チャールス・ドレイク
ミリアン / リー・グラント
ミス・スティーヴンス / ナオミ・スティーヴンス

日本公開: 1968年
製作国: アメリカ M・ロブソン、D・ワイズバート・プロ作品
配給: 20世紀フォックス

あらすじとコメント

前回の「アメリカン・グラフィティ」(1973)の主演リチャード・ドレイファス。そんな彼が台詞のあるチョイ役で映画デビューした作品を選んでみた。設定も前回同様、田舎生活の閉塞感から都会を目指す若い人間らを巡るドラマ。

アメリカ、ニュー・ヨーク寒いニュー・イングランドの田舎町から新天地を求めてやって来たアン(バーバラ・パーキンス)は、弁護士事務所に面接を受けに行った。

そこは芸能関係専門の事務所であり、気難しいオーナーは彼女の実力を試すため、すぐに大女優ヘレン(スーザン・ヘイワード)との契約書にサインを貰ってくるように命じた。右も左も分らぬアンであったが、大スターのヘレンのことは知っていた。

気を静めて稽古場に出向いた彼女は、レッスン中の無名の新人ニーリー(パティ・デューク)の歌唱力に驚嘆しつつ、ヘレンと対面する。しかしニーリーの歌を聞いたヘレンは突如、激怒し、彼女を降ろせと怒鳴り散らした。驚くアンだったが、来訪目的を告げると、ヘレンは契約書を破り捨て、すぐにオーナーに直接来させろと彼女に命じた。

茫然自失で戻ったアンは、自分にはこの仕事は無理だと泣きだした。そんな彼女に優しい言葉をかけたのは芸能エージェントのバーク(ポール・バーク)だった・・・

魑魅魍魎ばかりのショービズ界の内幕を描く重い人間ドラマ。

田舎出のヒロイン。抜群の歌唱力がある無名の新人。そして、肉体しか武器がないと理解しているショー・ガール。

メインはこの三人の若き女性。それぞれに男性が絡み、くっ付いたり離れたりの人間模様から、壮絶な薬物中毒、嫉妬や足の引っ張り合いといった、見た目の華やかさとは真逆の、底なし沼的ドロドロの人間ドラマが展開されていく。

原作は女優もしていたジャクリーン・スーザンによるもの。彼女の実体験でもなかろうが、何作も芸能界内幕ものを執筆している。

しかし、この手のバック・ステージものは、ミュージカルは別としても、何度も映画化された「スター誕生」や内幕ものの傑作であるウィリアム・ワイラー監督の「イヴの総て」(1950)などがあるが、本作は、その二作を完全に意識した作劇である。

つまり目新しさはなく、当時流行っていたフランスのポルノ映画や、アルコール依存症といった後付的内容を加味して何とか形成されている。

出演陣も全体的に弱く、マーク・ロブソンの変化球的演出法も、何ともまどろっこしいい。

中でも「スター誕生」と「イヴの総て」を観ていれば、苦笑がこみ上げる、完全にパクったシーンまで登場してくる。重苦しいドラマで、コメディ要素などまったくないのにである。

登場人物たちも、これは誰がモデルだなとか、想像を付けながら見ていくのも一興かもしれないが、どうにも俳優たちの力演が、逆に興を削いでいるとも感じる。

ただ、ヴェテラン大女優役のスーザン・ヘイワードの存在感と、何度も流れるディオンヌ・ワーウィックの主題歌は素晴らしい。

華麗に見えるが、その裏側は誰もが想像付くことであり、それをシリアスに描かれても、どうにも救いがなくなるだけという後味の良くない作品。

余談雑談 2017年8月26日
日頃は引き籠りがちな自分だが、先立て、上野の森に行ってきた。 何やら、世間の夏休み気分に影響されたのでもなかろうが、この前の文京区といい、妙に立て続けに出掛けている感じ。とはいっても、遠出という距離でもないのだが。 理由は、知り合いの若者が