女が階段を上る時   昭和35年(1960年)

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スタッフ
監督:成瀬巳喜男
製作:菊島隆三
脚本:菊島隆三
撮影:玉井正夫
音楽:黛敏郎

キャスト
矢代圭子 / 高嶺秀子
銀行支店長・藤崎 / 森雅之
ホステス・純子 / 団令子
マネージャー・小松 / 仲代達矢
工場主・関根 / 加東大介
利権屋・美濃部 / 小沢栄太郎
実業主・郷田 / 中村鴈次郎
マダム・ユリ / 淡路恵子
圭子の兄 / 織田政雄
矢代ふじ枝 / 賀原夏子

製作国: 日本 東宝作品
配給: 東宝


あらすじとコメント

今年一回目の番外編。「ヤルセナキオ」と揶揄された名匠成瀬巳喜男。その中から選んでみた。『夜の蝶』サイドから浮かび上がる人間の弱さと闇を描いた作品。

東京、銀座。とあるバーの雇われマダム矢代圭子(高嶺秀子)は、上得意であった経営コンサルタントの美濃部(小沢栄太郎)が、別なホステスの店へ行くようになり、売上低下からマネージャーの小松(仲代達矢)共々、クビになってしまう。

そんな圭子らは、心機一転、別な店へ移るが・・・

華麗に見える夜の銀座に蠢く人間たちの欲望と弱さを描く佳作。

銀座の「ママ」といえば聞こえが良いし、酒飲みの男たちからすれば、一度はお付き合い願いたい最右翼かもしれない。しかし、そんな男たちのスケベ心が木っ端微塵になる作品でもある。

所詮、華麗な夜の蝶といっても、普通の女。しかも、個人差こそあれ、身勝手である。客の男たちは日本最高峰の夜の街『銀座』で飲める、それなりのお偉方ばかりである。

だが、男と女であることは、一般庶民と同じなのだ。ただし、お互いが見栄と虚勢を張り、高い金のために自分らは特別な人間なのだと思い込みたいのだ。

人間として弱いくせに、否や、弱いからこそ高額な金を使ったり、使わせたりして駆け引きのために蠢く魍魎たち。

その男女の本心を、さり気なく、だが、いつもの如く、底冷えのする視点で描きだす成瀬演出は、相も変わらず見事である。

だが、他の成瀬作品と本作が、些か違う趣なのは、市井の人間、どちらかというと庶民を描くことが多いが、本作は登場人物たちが、皆、虚構の派手な世界の人間ばかりという点。

そこに、いつも成瀬作品を見慣れている観客は、少し、感情移入しづらいかもしれない。

その証拠に、後半で、主人公が下町である佃島の実家に帰宿する場面での、伸びやかな開放感。狭い木造の、いかにも庶民が住む界隈の空気を感じさせる場面だが、そこでこそ、監督らしい絶妙な感情移入しやすさがある。

そして、成瀬作品にしては珍しく、東京下町のランドマーク的存在であった『お化け煙突』が、かなり印象的に登場してくる。

華やかな銀座と対照的に描かれるので、他の成瀬作品群とは違う印象もある。

その他にも、本作は、展開と編集のリズム感が明らかに違う。庶民的生活ののどかさがなく、解りやすさを優先させた展開。何故なら、登場キャストも他の作品に比べて多い。しかも、女性は殆んどが水商売のホステスか、そんなの女性たち相手に商売をする女たち。

日本最高の地『夜の銀座』で跋扈する魑魅を描こうとすれば、当然、似たようなメークや衣装になるから、致し方ないのだろう。

だからこそ、『庶民』として登場してくる主人公の母親や、元同僚の母親といった女性たちとの差異が底光りするのだ。しかし、誰もが身勝手さと排他性を併せ持つという描き方。

その共通性。流石、成瀬である。

出演者も細かい役に至るまで、相変わらず絶句するほど上手いし、特にご贔屓役者で、いつも気の弱い善人が多い、織田政雄の、いつもと同じようで、明らかに違う起用法など、恐れ入る。

時代は流れ、銀座は「バー」から「クラブ」ヘと変わり、現代は「キャバクラ」が主流であるという。

しかし、そこを跋扈する男女たちの中身は大して違わないのだろう。だからこそ、男として生まれたからには一度は銀座で飲んでみたい。

更に、できうれば、そこへ足繁く通えるのが男としてのステータスであると信じていた時代が懐かしい。

余談雑談 2018年1月11日
今回の都々逸。 「捨てる神ありゃ助ける神が なまじあるゆえ気がもめる」 それなりに魅力のある人だから、てなことなんだろうな。 もしくは自分の目に自信があったから選んだが、挙句にダメと分かったかので捨てようかと迷っていることなのかね。 どちら