来月下旬に行く奥日光の温泉旅行。そろそろ予約の最終確認だなと。なので参加予定者や未回答の仲間に連絡を入れた。
すると、新規参加者の他に、行きたいが行けぬという仲間が出てきた。
その人は、仕事が休めないと。常務取締役まで頑張り、退職後、全く違う職種にアルバイト的に入ったが、そこで見込まれてリーダー格になり、週末は人員不足のため、自分が出勤せざるを得ないと。
参加する友人にも、長年勤め上げた会社を早期退職し、後はボチボチ仕事を続けると言っていたが、逆に良いように使われ却って忙しくなったと笑う仲間も。
他にも似たような仲間がいる。皆さん、真面目だ。何故、そうまでして働きたいのかと仕事嫌いの自分としては不思議。
確かに老後の収入は、退職金を満額貰っても不安かもしれぬし、それよりも何かしら仕事をしたいと願うのが日本人なのだろうか。
考えてみるとヒマなのは自分だけ。本当に仕事が嫌いで、生活レベルを下げ続けても、仕事はしたくない。なので悪化の一途であるタバコ屋の店番とバイトの編集が限界。
完全に社会人失格な発想。それでも旅行には行きたいし、呑みにも出掛けたい。
どうにも、日本人的協調性がない。勤め人経験もほぼなく、かといって職人的生き様でもない。ただ、齡を重ねるごとに孤独感ばかりが増し、安酒場や路上で誰彼構わず突っ掛る人間だけにはなりたくない。
旅行にしろ、何にしろ、声を掛ければ集ってくれる仲間がいるだけでも幸福である。
ただし、類は友を呼ぶではなく、もしかして反面教師的に思われているのかしらん。ということは、真面目に働き続けることが普通であり、違う人生を歩む自分を蔑んでいるから付き合えるのか。否や、羨望と受け取りたいね。
考えれば、若いうちに通常の勤め人が憧れることは経験してきた自分。
やっぱり、ここはキッパリ、スッキリ江戸っ子らしく諦めることが肝要だな。
さて、予約の最終調整だ。