スタッフ
監督:ピーター・ボグダノヴィッチ
製作:A・ウィンクラー、R・チャートフ、F・マーシャル
脚本:W・D・リクター、P・ボグダノヴィッチ
撮影:ラズロ・コヴァックス
音楽:リチャード・ハザード
キャスト
ハリガン / ライアン・オニール
グリーンウェイ / バート・レイノルズ
キャスリーン / ジェーン・ヒッチコック
アリス / テータム・オニール
コッブ / ブライアン・キース
マーティ / ステラ・スティーヴンス
フランク / ジョン・リッター
ローガン / M・エメット・ウォルシュ
ベイリフ / ブライオン・ジェームス
日本公開: 1982年
製作国: アメリカ C&ウィンクラー・プロ作品
配給: ヘラルド
あらすじとコメント
前回は、磁気でレンタルビデオをダメにして、仕方なく「映画」をでっち上げる、所謂は素人による『自主製作映画』のコメディだった。ならば、今回は映画黎明期のドタバタぶりを描き、映画愛を謳う作品にしてみた。
アメリカ、シカゴ20世紀初頭、新たな娯楽『活動写真』がお目見えしていたころ。
弁護士のハリガン(ライアン・オニール)は、自身の不手際から裁判を放棄し、法廷から逃げだした。これでは次の依頼など来ないと心配するが、偶然通りかかった事務所から怒号と共に何人もが追い出される現場に遭遇する。
もしや、仕事に繋がるかと勢い勇んで乗り込むと、そこにいたのは映画製作会社社長コッブ(ブライアン・キース)。彼はハリガンのことを脚本家と勘違いし、自分のアイディアを脚本に起こせと怒鳴りつけてきた。驚く彼だが、コッブの勢いに押され、そのままズルズルと居座ることになった。
ところ変わってニュー・ヨークでは馬の鞍製作を依頼されたグリーンウェイ(バート・レイノルズ)が納品に来たが、相手は消息不明。一銭にもならず、右も左も解らぬ大都会で途方にくれていると売れない舞台女優キャスリーン(ジェーン・ヒッチコック)と知り合った。
ところが彼女は・・・
下世話な娯楽と位置付けられていた映画の推移を描くコメディ。
能ナシの弁護士、馬の鞍職人の田舎者。そして、ド近眼の舞台女優。
そんな人間たちが、あれよあれよと海とも山ともつかない「映画界」に放り込まれて行く。
弁護士は脚本家から監督へ。鞍職人は役者へ。そして舞台女優はそんな二人に口説かれる立ち位置へと変化して行く。
何せ20世紀初頭であり、強力なる映画製作会社は、確固たる権利を主張し、自主制作というかアングラ製作会社を力づくで破壊や妨害をしていく存在。正に、紳士面したギャング団だ。
そんな中、ゴリ押し型ワンマン社長にねじ込まれ、次々と過酷な条件下で映画製作をしていく進行。
その後も解雇や、レジスタンス的自主制作を続行とか、当時の映画自体がどのように製作され、何を大衆に訴えようとしたのかを教えてくれる作品でもある。
タイトルの「ニッケルオデオン」とは『5セント玉』のことで、小銭で15分程度の映画を見せる小規模な見世物小屋的映画館を指す。
映画評論家出身のピーター・ボグダノヴィッチが映画愛を謳う作品であり、「ペーパー・ムーン」(1973)で親子競演を果たしたライアン&テータム・オニールと再びタッグを組んだ作品。
更に、やはり監督作品である「おかしなおかしな大追跡」(1972)で使用した『カバンの取り間違え』から、話がややこしくなるという手法をわざと再使用したりして、観客の心をくすぐろうとしてくる。
ただし、本作はボグダノヴィッチの悪い面ばかりが強調された結果となっていると感じた。
自分の嗜好と理性が上手く噛み合わず、冗漫なイメージばかりが先行し、内容も説明的過ぎるのである。
何分経ったから、ここでコメディ場面を挿入しようとか、脚本を意識し過ぎて演出と編集のリズム感がチグハグだったり。
どうにも「クドい」のである。ただ、それこそが映画黎明期の粗製乱造の映画群であり、わざと「つまらなさ」と「だるさ」を再現しているのかもしれない。
それにしても、映画好きなら、面白おかしく的に映画の歴史が学べると思い込めば良かろうか。
機材や技法が少ない時代に、どのようにアイディアとノリで製作されてきたかを感じられば、それはそれで楽しい教材だろうか。
実際に、邦画界が大減速していた1970~80年代の日本ピンク映画のゲリラ撮影もこんな感じだったと想起させてくれる。