スタッフ
監督:アンソニー・マン
製作:シドニー・バックマン
脚本:フィリップ・ヨルダン
撮影:アーネスト・ホーラー
音楽:エルマー・バーンスタイン
キャスト
ベンソン中尉 / ロバート・ライアン
ウィルメット軍曹 / アルド・レイ
大佐 / ロバート・キース
リオダン軍曹 / フィリプ・パイン
ズウィックリー伍長 / ヴィック・モロー
キリアン軍曹 / ジェームス・エドワーズ
ディヴィス軍曹 / L・Q・ジョーンズ
マスロウ / アダム・ケネディ
メレディス / スコット・マーロウ
日本公開: 1957年
製作国: アメリカ セクレタリー・ピクチャーズ作品
配給: セレクト、松竹
あらすじとコメント
今回も朝鮮戦争でのアメリカ陸軍の苦闘を描く作品。前回は、部下らの予想に反して「出来る上官」だったが、今回はまったく逆。何とも厭戦気分に満ちていて、誰にも肩入れしづらい作品。
韓国、洛東江1950年9月、高地に囲まれた場所でアメリカ軍歩兵部隊の生き残りが敵に囲まれていた。
隊長はベンソン中尉(ロバート・ライアン)で、隊員は20名ほど。隊の使命は主力部隊がいる高地で合流することであったが、肝心の主力部隊と無線が、一切通じない。全滅しているのではと勘繰る兵士もいる中、交信を試みろと命令するしかないベンソン。しかし、ここに居ても危険である。しかも、武器弾薬が多くあり、トラックも故障し運搬手段も考慮しなければならない状態。
そんな時、一台の友軍ジープが爆走してきた。運転していたのは「モンタナ」ことウィルメット軍曹(アルド・レイ)で、助手席には爆発の衝撃で脳に障害がでたと思われる大佐(ロバート・キース)が乗っていた。ベンソンはすぐにジープを没収しようとするが、軍曹はいきなり銃をベンソンに向けた。
自分の使命は大佐を病院に送り届けることだ。そちらの部隊よりも優先される事項である、と・・・
絶望的な状況で繰り広げられる嫌味な戦争ドラマの佳作。
真面目だが決断力と指導力に欠ける将校が主人公。生き残っている部下も、ヴェテランのくせにすぐにパニックに陥る下士官、神経衰弱の若い兵士、命令を受けてもすぐに動けない兵隊など、何とも頼りない男たちばかり。
そこにやってくるのが、別な部隊の上官の命令など無視、というか、自分の選択こそが正解と一歩も譲らない下士官。司令官クラスの大佐は意識はあるが、一切、言動出来ない始末。
非常に珍しい設定である。先が読めない状況下で、既に指導力不足が露呈している主人公の性格を素早く見抜き、コイツの指揮下に入っては危ないと直感する下士官。
しかも、彼の部下の前でも平然と自分が正しいと言い放つ男でもある。
何とも嫌な設定なのは、その下士官の判断と行動が、すべて正しいこと。
怪しいものは躊躇なく殺す。一呼吸というか、確認するまで銃撃するなという主人公では、犠牲者が続出すると知っているから。
だから、そんな表面上のメンツなど軽く踏みにじる。それでも、一応は指揮下に入るが、元々の下士官を含めた兵士たちが敵のゲリラ攻撃で、徐々に減っていく展開と相成る。
それも、ひとえに主人公の力量不足からだ。
そんな展開を延々と見せられる内容である。益々、追いつめられて行き、主力部隊はおろか、既にアメリカ自体がないと呟く主人公。
誰もが生き延びたいが、その術を知らず、かといって実力派下士官が指揮を代わりに執ることもない。大佐も、意思はあるようだが、ただ、存在しているだけ。
やはり、無能な上官の所為で部隊が劣勢に陥っていくロバート・アルドリッチの佳作「攻撃」(1956)に似ている内容だが、指揮能力のない上官が主人公というのも、こちらの感情移入を妨げる。
本作の監督がアンソニー・マンというご贔屓監督なのも注目点だ。ジェームス・スチュワートと組んで多くの西部劇の佳作、秀作を輩出した監督で、超有名作はないが、外れの少ない監督でもある。
画面構成や編集など、大雑把なところもあり、予算が掛かってないので、B級感に満ちている。
それでも、アメリカが初めて体験した「負け戦」を、このような状況では、さもありなんと描いている点では力作であると位置付け出来ようか。