昨今の若者たちには面白いのがいるもんだ。
『昭和』に憧れ、ほぼ絶滅した「チンドン屋」やら、「流し」を趣味だか、本業だか分らぬが、喜々として演奏しながら地元を歩く姿をたまに見かける。
それぞれ往年の格好をしているが、そこはナマを見ていないので、らしき姿に似せている態であるのだが。中にはチラシに出来る歌を一曲幾らと書いて配っている者も。しかも、大正から戦後すぐ位の曲だ。
それはそれで楽しそうだ。ただし、そんな古い曲を知っていてリクエストできる若者などいるのかね。
こちらからすれば、子供時代に当たり前に存在していた風景だが、現在の人には新しいのだろう。ある意味、「路上パーフォーマー」というスタンスなのかもしれぬ。
自分の中で、印象に残っている街頭系の音楽は『新内流し』だ。しかも、初見は20年以上も前だが、既に一般的には忘れられていた職業。
下町以外や、地方でもいたのかは知らぬが、その時に自分が見たのは師匠と弟子で着物姿の女性二人組。三味線を弾きながら、ゆっくりと街を流し、声が掛かるのを待つ。
ギターやアコーディオンの音色が街に響いていたのは、子供時代に知っていたが、三味線である。
鳥肌が立った。先輩と一緒に飲んでいて、恐る恐る声を掛けたら、近くの飲み屋に許可を頂いて、そちらで唄います、と。
芸者遊びなどしたことはなかったが、あまりの艶っぽさに酔いが醒めたほど。何でも「町おこし」の一環らしく、それ以後、流す日を尋き、捕まえてはお願いしていた。
そして、ひょんなことから師匠のご厚意により、自室で催して貰うことになった。友人、知人に声を掛けたら、何と二十人以上が参集した。それこそ、すし詰め状態での開催。
新内の成り立ちから、夕方に爪弾く曲に始まり、深夜、明け方の曲の違いを説明して頂きながら陶酔した。
正しくホンモノの『芸』。参加者全員が、初めて聴く音曲に酔いしれ、最後は都々逸まで披露してもらい、したことはないが、芸者遊びとは、また違う貴重な経験だった。
流石に、現在、若者たちでも新内流しをする輩はいないだろう。三味線だし、召し物の着こなしも完璧で、決して乱れることはないので難しいだろうし、何よりも解る者がどれほど生きているのだろうか。
でもな、こういう思い出を語りだすと、やっぱり老いぼれたということだな。まさに「昭和は遠くになりにけり」か。