砦の29人 – DUEL AT DIABLO(1966年)

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スタッフ
監督:ラルフ・ネルソン
製作:ラルフ・ネルソン
脚本:M・H・アルバート、M・M・グリリケス
撮影:チャールス・F・ホィーラー
音楽:ニール・ヘフティ

キャスト
レンズバーグ / ジェームス・ガーナー
トーラー / シドニー・ポワチエ
エレン / ビビ・アンデルセン
グレンジ / デニス・ウィーヴァー
アリスター少尉 / ビル・トラヴァース
フェーガソン軍曹 / ウィリアム・レッドフィールド
チャタ / ジョン・ホイト
ディーン / ジョン・クロフォード
ノートン / ケヴィン・コフリン

日本公開: 1966年
製作国: アメリカ ユナイト作品
配給: ユナイト


あらすじとコメント

ジェームス・ガーナーで続ける。コメディから王道のタフガイまで演じる俳優だが、今回は、彼のフィルモグラフィーの中では、特段、彼らしさがない作品を敢えて選んでみた。落ち目の西部劇らしさを感じさせる映画。

アメリカ、アリゾナ軍隊の斥候であるレンズバーグ(ジェームス・ガーナー)は、砦に向かう途中、たった一人で荒野を彷徨うエレン(ヴィヴィ・アンデルセン)を助け、彼女が輸送業を営むグレンジ(デニス・ウィーヴァー)の妻だと知り、連れ帰った。

だが、グレンジは冷たい態度で彼女を迎え、レンズバーグを追いだした。夫婦間のことは分らぬとばかり、かつての上司の元へ出頭する。そこで、彼は離れた砦に弾薬を運ぶ部隊の道案内を依頼される。

指揮を執るのは、かつての同僚で上昇志向の強いアリスター少尉で、しかも戦闘未経験の兵士25名という頼りない部隊である。流石に上官も心配し、かつて有能な下士官だったが、現在は馬商のトーラー(シドニー・ポワチエ)も同行させることにした。未調教の馬を売りつけたトーラーは嫌がるが、到着先でしか支払わぬという強迫に応じざるを得なかった。

そんな折、グレンジが同行したいと申しでてきて・・・

凝った設定ながら、残念さが勝る西部劇凋落期の作品。

個人思考優先の人間たちが集団行動を取る。何が起き、どうなるかは誰が考えても想像付くだろう。

状況上、軍隊が主導権を取り、他の民間人らは、その指揮下に入る。しかも指揮官は、出世を夢見る下士官からやっと将校に昇格したばかりの男だ。

ヴェテラン下士官がひとりいるだけで他の23名は頼りにならない兵士たち。となれば命令系統は出世を夢見る指揮官に頼りざるを得ない。

更に、元エリート下士官ながら、軍隊に嫌気が差し除隊した黒人は、ほぼ無理強いでの参加。輸送業の妻も同行するが、それは彼女の暗い過去に起因している。

主人公の真の目的は、行先近くの町で、かつて先住民の妻を殺害し、頭皮を剥いだ相手を探すためだ。

何とも、私怨というか、身勝手な民間人ばかりである。

そんな彼らを襲撃してくるのは居留地を逃げだしたアパッチの一団。向こうも女子供連れでの行動である。

ただし、勢力は主人公側が29人に対して45人もいる。しかも軍隊側は兵力としては半人前である。

当然、部隊側にばかり犠牲者が続出して行き、窮地に追い込まれ、さて、どうなるかという展開。

キャラクターの設定自体は良いのだが、進行と展開に妙味がない。しかも、何故このキャスティングかと首を傾げたくなる。

主演のガーナーを始め、ポワチエの役も、彼らでなく誰でも良かったのじゃないのかと。

上昇志向の司令官、問題を抱える妻、その夫、誰もが役者として線が弱い。

成程、凋落期の西部劇という印象。もし、キャストを大幅に入れ替えても、この筋運びじゃ、以前にどこかで何度も見たよなという印象だろうか。

ひねり過ぎて混乱させられるのも閉口だが、50年代の量産時代のB級ウエスタンをそのまま踏襲した印象。

ポスターに騙され、オープニングのヘリコプター撮影、格好良い音楽で、期待が膨らむが、途中棄権したくなる作品という印象。

余談雑談 2018年4月21日
昨今の若者たちには面白いのがいるもんだ。 『昭和』に憧れ、ほぼ絶滅した「チンドン屋」やら、「流し」を趣味だか、本業だか分らぬが、喜々として演奏しながら地元を歩く姿をたまに見かける。 それぞれ往年の格好をしているが、そこはナマを見ていないので