ミラノの奇蹟 – MIRACOLO A MILANO(1951年)

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スタッフ
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
製作:ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本:C・ザッバティーニ、S・チェッキ・ダミーコ
撮影:G・R・アルド
音楽:アレッサンドロ・チコニーニ

キャスト
トト / フランチェスコ・ゴリザーノ
ラッピ / パオロ・ストッパ
ロロッタ婆さん / エンマ・グラマティカ
資本家 / グリエルモ・パルナーボ
エドヴィージェ / ヴルネラ・ボーヴォ
彫像 / アルバ・アルノーヴァ
アルフレード / アルトゥーロ・ブラガリア
ガエターノ / エルミニオ・スパッラ
警官 / ヴィルジリオ・リエント

日本公開: 1952年
製作国: イタリア デ・シーカ・プロ作品
配給: イタリフィルム、松竹洋画部


あらすじとコメント

ヴィットリオ・デ・シーカで繋げる。戦後のイタリア映画界を牽引した一人であり、ネオ・リアリズムからコメディと幅広い作風の持ち主。今回はファンタジーで、人間のエゴを描いた作品を選んだ。

イタリア、ミラノ町外れにある小屋にひっそりと住むロロッタ婆さん(エンマ・グラマーティカ)は、ある日、キャベツ畑で捨てられた赤子を発見した。婆さんはその子を保護し、トトと名付け育て始める。そんなトトが6歳になった時、婆さんは急死し、彼は孤児院に預けられることになった。

そして、18歳になったトト(フランチェスコ・ゴリザーノ)は、素直な青年に成長し、小さなカバンをひとつ持ち、街にでた。ところが、目を離した隙にカバンを盗まれてしまう。すぐに気付いた彼は泥棒に話かけた。「このかばんが気に入った」と悪びれる様子もなく言う泥棒に、じゃ、あげると微笑み、その代わり、一晩泊めてくれないかと。頷く泥棒だが、そこは原っぱにある掘立小屋にも満たない粗末なもの。

そして、その場所はホームレスらの集落でもあった・・・

善良な青年と彼を取り巻く人間たちのエゴを描く作品。

戦後の混乱から安定し始めた頃だが、当然、貧しい人間も多くいた時期。

主人公は風が吹くと飛ばされる掘立小屋の集落の改善とばかりに、原っぱにちゃんとした小屋を建てリーダー格へなっていく。

すると噂を聞きつけた貧しい人間が続々参集し、大きな集落へと変貌していくのである。ところが、集落完成祝いの日に、敷地から石油が噴出したことから、金満家の地主が目の色を変えて追いだしにかかるという内容。

何とも解りやすく微笑ましい内容だが、当然、資本第一主義の金満家に限らず、集落内にも、身勝手な人間が生活している。

貧しさから依存体質になる人間、エゴイスティックな輩など、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」をも連想させる。

他にもメリハリとして主人公に恋する乙女なども絡み、猥雑な展開となって行く。

映画では、本作と同年に作られた日本の「自由学校」(1951)などがあるし、アメリカ映画でも、底抜けに善良な青年が住宅地を開発し貧しい人々に提供する秀作「素晴らしき哉、人生!」(1946)とも共通する設定。

しかも、本作は「素晴らしき哉、人生!」同様、ファンタジー要素もあり、何とも微笑ましいのだが、そこはデ・シーカ。

アメリカ映画とは違うぞとばかり、得意のネオ・リアリズムの手法の上に、更にシュールリアリズムを持ち込んだ意欲作となっている。

何とも不思議な作風でもあるので、ハズレと感じる観客もいるだろうが。

貧しさが人間にもたらすものを両極端に描き、怒りでもなく、笑い飛ばすでもない。

その全てが人間であり、生存欲求であると。

チープな特撮が、内容と妙にマッチし、人間の大らかさに夢と希望を託すラストの大聖堂の場面など、個人的には微笑ましくて好きである。

余談雑談 2018年6月2日
思い入れのある腕時計。竜頭がとれて修理を逡巡していたが、自室から徒歩圏内にある、昨今人気が出始めた「蔵前」地区に新しく、修理専門店が出来たとの情報を得た。 漠然とした情報だったので、散歩がてらその近くを廻ってみた。しばらく来ないと、路地に至