余談雑談 2018年6月16日

来週の19日は「元号の日」とか。起源は645年で、蘇我氏を倒した中大兄皇子が、日本初の元号「大化」を定めた日というから随分と長い歴史がある。以来、「平成」まで247の元号が定められた。

そんな平成も来年で終わる。昭和生まれの自分としては、三元号を生きることになる。自分が幼少の頃は、流石に江戸時代生まれは周囲にいなかったが、「明治」生まれは大勢いた。

『明治は遠くになりにけり』と、よく聞かされたものだが、今や『昭和は遠くになりにけり』だよな。

時代は当然、光陰矢の如く流れ、価値観も変わり、根性や精神論でのスポーツ等はバッシング対象になる。

確かに誰だって痛いのは嫌だよな。まあ、それも経験者が言うのは理解できるが、自分のような運動大嫌いな人間が、揶揄するは筋道が違うとも思う。

『頑固者』という言葉も聞かなくなったし、もしそれを使うときは決して褒め言葉じゃないんだろうな。「南方帰り」やら、「特攻くずれ」といった言葉も完全なる死語だが、自分が小さい頃は多く聞いた言葉だ。

今の若者は意味すら解らないだろう。だからといって、自分だって、その経験者ではない。ただ、地元では白装束に兵帽を被った「傷痍軍人」がハモニカなど吹きながら路上に座っていた姿も鮮明に覚えている。

それが良いと言うのではない。ただ、厳然なる事実としてあった。生きる死ぬを経験してきた人間が数多くいて、尚且つ、貧しかった。

しかし、時代が流れれば流れるほど、人生のスタートが変る。もしかすると今の20代は、スタート自体が「0」ではなく、当時の「3」か「3.5」ぐらいかもしれぬ。それでも彼らには「3」が「0」。

そこから『孤独』や『疎外感』を覚えるのかもしれない。良し悪しでなく、それが進歩というか、進化なのだろう。

ふと、大好きで自分の映画史上のベスト3に入る映画の名セリフを想起した。「第三の男」(1949)である。

「イタリアではボルジア家30年の殺人や流血などの圧政の下、ミケランジェロやダ・ヴィンチら偉大なるルネッサンスを生んだ。一方、スイスでは500年に渡る民主主義と平和による博愛精神の下、産みだしたのは何だと思うか。鳩時計だとさ」

来年「平成」は31年で幕を閉じる。どんな元号になるのだろうか。

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