スタッフ
監督:ピエトロジェルミ
製作:ジュゼッペ・アマート
脚本:P・ジェルミ、A・ジャンネッティ、E・D・コンチーニ
撮影:レオニーダ・バルボーニ
音楽:カルロ・ルスティケッリ
キャスト
イグラヴァッロ / ピエトロ・ジェルミ
アッスティーナ / クラウディア・カルディナーレ
ヴァルダレーナ / フランコ・ファブリッツィ
ヴィルジニア / クリスティーナ・ガイオーニ
リリアーナ / エレオノーラ・ロッシ・ドラゴ
バンドゥッチ / クラウディオ・ゴーラ
サーロ / サーロ・ウルチ
ランチャーニ / ニーノ・カステルヌォーヴォ
フーミ医師 / ペッピーノ・デ・マルティーノ
日本公開: 1960年
製作国: イタリア チネリッツ作品
配給: NCC
あらすじとコメント
ローマ駅が舞台の「終着駅」(1953)で描かれた主役二人の恋模様よりも印象に残った市井の人々たち。ネオリアリズモの巨匠ヴィットリオ・デ・シーカとは違う視点で、庶民を描き続けたピエトロ・ジェルミ監督主演によるローマの下町が舞台の刑事ドラマにしてみた。
イタリア、ローマ郊外のアパートに強盗が入り、イングラヴァッロ警部(ピエトロ・ジェルミ)らが駆けつけた。被害者は中年男性で、強盗とは面識がないと証言する。しかし、どこか落ち着きがない風情でもある。
早速、捜査を開始した警部らは隣室のバンドゥッチ夫人(エレオノーラ・ロッシ・ドラゴ)に聞き込みにいく。そこには家政婦のアッスンティーナ(クラウディア・カルディナーレ)もいたが、彼女らも、妙に非協力的である。
捜査は続行されるが、一週間後、バンドゥッチ夫人が自室で殺害され・・・
ふたつの事件を追う警察と市井の人間たちを描く刑事ドラマの佳作。
強盗事件から隣室での殺人事件。果たして関連性はあるのかという推理ドラマと、各々の事件に関わる人間たちが登場して来ては、個人的背景も浮かび上がっていく展開。
地道な捜査を続けながらも、市民にはどこか威圧的な警察。そこに時代性を感じざるを得ないが、監督のジェルミは主演もこなしながら、上手い演出と進行を見せて行く。
登場人物も、ゲイを匂わせる中年男性や、殺害される夫人の亭主、その夫婦と関係がある医師、そしてその家庭の若い家政婦と恋人。
そういった人間たちが下町の息吹に見事に溶け込み、絶妙なる実感がこもっての進行。
ストーリィとしてはミスリードをしつつ、真相に集約していく。アクションや銃撃戦といった派手な場面はなく、実に地道な作劇が、リアリズムを醸しだして好印象である。
特に印象的なのは、カルロ・ルスティケリによる、哀愁に満ちた音楽。ニーノ・ロータとは違う、実にイタリア映画らしいギターの旋律を効かせた音楽で、特に主題歌の「アモーレ・ミオ」は、日本で大ヒットした。
アメリカ製刑事ドラマの秀作「裸の町」(1948)に多大な影響を受けているとも感じるが、イタリアン・ティストに置換され、当時の生活ぶりや階層の違いが見事に浮かび上がってくる。
どの人物も生きるために必死で、当然、アメリカとは違うスタンスでの個人優先の価値観が横たわる。
それらが悲劇性を伴ったり、負け組として突き放したように描かれる。
唯一、違った描かれ方をするのがカルディナ─レ演じる若い家政婦。ただし、教育レベルが低い故のストレートさが捜査を混乱させ、逆に解決へと導いていく。
貧しいが故の悲劇と、伸し上がりたい人間、既に地位を確立している人間と実に様々だが、誰もが脆弱さを持っている。
そういった人間たちが織り成す見事なアンサンブルが、忘れ難い哀愁に満ちた音楽と共に、後々まで余韻を残す佳作。