カビリアの夜 – LE NOTTI DI CABIRIA(1957年)

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スタッフ
監督:フェデリコ・フェリーニ
製作:ディノ・デ・ラウレンティス
脚本:F・フェリーニ、E・フライアーノ、T・ピネッリ
撮影:アルド・トンティ
音楽:ニーノ・ロータ

キャスト
カビリア / ジュリエッタ・マッシーナ
ドノフリオ / フランソワ・ペリエ
ワンダ / フランカ・マルチ
ジェシー / ドリアン・グレイ
“魔法使い” / アルド・シルヴァーニ
アムレート / エンニオ・ジロラーミ
アムレートの伯父 / マリオ・パッサンテ
ラッツァーリ / アメディオ・ラッツァーリ
ロージー / ロゼッタ・カピトーリ

日本公開: 1957年
製作国: イタリア D・D・ラウレンティス・プロ作品
配給: イタリフィルム、NCC


あらすじとコメント

前回の「白い酋長」(1951・未)で、数カットだけ娼婦役で登場した女優ジュリエッタ・マッシーナ。まったく同じ役名役柄が、主演に昇格した映画で、娼婦の人生模様を描いた胸の詰まる作品。

イタリア ローマ近郊アッピア街道で、日々、仲間らと客待ちをする娼婦のカビリア(ジュリエッタ・マッシーナ)。

ワガママで気まぐれで、その上、惚れっぽい。しかも男を見る目はなく、今回は川に投げ込まれて、溺れそうになった挙句に救助された。

怒り心頭でボロ家に戻ると仲間の娼婦に当り散らす始末。夜に仲間らのいる路上に行けば、今度は別な娼婦が嫌味タップリに喧嘩を吹きかけてきた。応戦するカビリアだが、結局、他の派閥がいる高級街に移動した。

そこでも邪魔者扱いされ意気消沈。それでも気を取り直して歩いていると、痴話喧嘩しているカップルに遭遇。女性は怒って去ってしまうが、残された男が超有名俳優アルベルト(アメディオ・ナザーリ)だと驚く。

そして気まぐれからか、彼はカビリアを呼び寄せた・・・

起伏の激しい娼婦のドラマティックな人生を描く佳作。

天真爛漫というよりは、いささか頭の弱い娼婦。気分屋ですぐに周囲と軋轢を起こすタイプでもある。その上、男運がない。

そんな主人公が、どんな人生を歩んで行くのかを描いた作品である。

観ているこちらは、そんな男を信じたら失敗すると思いながらも、どこまでも無垢というか、感情が勝るヒロイン。

なので、そら見たことか的進行をしていくので胸が詰まっていくのだ。

倒されても、打ちのめされても、自分はこの商売でしか生きていけないと、どこかで諦念しているようにも見えるヒロイン。

どの男に対しても、一応簡単には信用しないと思いながら自分なりの拒絶姿勢を見せるものの、結局、流されていく。

そういう数々の経験を積みながら自立しようとするものの、結果的に流されるの繰り返し。ある意味、学習効果のない女性で、だから、この手の商売でしか生きて行けないんだなと痛感させられる。

そんな彼女の性格など仲間らは先刻承知だし、だからこそ、優しく寄り添おうとする者や、喧嘩腰になるタイプなどがいる。

そんな彼女らに共通するものは、『娼婦』という職業。当然、彼女らを取り仕切る『ヒモ』的仲介業の男もいる。

その誰もが、社会からドロップ・アウトしており、市井の人間たちとは違うと感じさせてくる。

中盤では、カソリックの総本山である国なのに、神に対して無関心というか、逆に恨み節的な発言をさせる場面など、彼女らゆえのスタンスが浮かび上がり鳥肌が立った。

彼女らにとって、否や、人間にとって神とは何なのかという視点も描き、人間の欲望と本質を際立たせていく。

何といっても、小柄ながらダイナミックでインパクトのあるヒロイン役ジュリエッタ・マッシーナの存在が見事。彼女のための作品と呼べるほど素晴らしい演技だ。

気を衒うフェリーニらしい演出はなく、男性関係の中でサスペンスを喚起させる手法など、やはり力量があると感じさせる。

不幸を呼び込むのは自分自身だろと、簡単に片付けられないからこそ胸が痛くなるのだが、ラストに見せるマッシーナの表情がすべてを打ち消す。

欲深いというか、人間の業こそが生きる源であり、だからこそ人生なのだと謳い上げる佳作。

余談雑談 2018年7月21日
暑いにも程があるだろ。東京の最高気温は連日35℃で、熱帯夜も連続中だとよ。これが少なくとも今月一杯は続くとか。 しかも、早朝の情報番組で美人気象予報士が、痛々しく都心では夜明け前に28℃あります、てな余計な情報を喋っている。 これじゃ折角の