日曜はダメよ – NEVER ON SUNDAY(1960年)

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スタッフ
監督:ジュールス・ダッシン
製作:バシリー・ランビリス
脚本:ジュールス・ダッシン
撮影:ジャック・ナトー
音楽:マノス・ハジダキス

キャスト
イリア / メルナ・メルクーリ
ホーマー / ジュールス・ダッシン
トニオ / ジョージ・ファウンダス
ヨルゴ / ティトス・パンディス
アルマティス / ミツォス・リグィーソス
ポーベル / ディモス・スタレニオス
デスポ / デスポ・ディアマンティドゥ
水兵 / ディミトリ・パパミカリ
顔無し / アレクシス・サロモス

日本公開: 1961年
製作国: ギリシャ メリナ・フィルム・プロ作品
配給: ユナイト


あらすじとコメント

シャーリー・マクレーンが娼婦系を演じた作品が続いた。なので、別な娼婦を主役に据えた映画を選んでみた。ギリシャという場所柄を感じさせるドラマ。

ギリシャ、アテネピレウス港に陽気な娼婦イリア(メルナ・メルクーリ)がいた。彼女は不思議な性格で、どんなに大金を積まれても気に入らぬ相手とは決して商売しないタイプであった。だからか、地元の労働者階級の男たちのマドンナでもあった。その上、娼婦仲間らからも頼りにされる存在。地元を牛耳るボスが、何とか彼女を籠絡しようとしているが、どこ吹く風。

そんなある時、アメリカの自称哲学者ホーマー(ジュールス・ダッシン)がやって来た。彼も、イリアに惹きつけられるが、理性的というか、折角の美人には知性が必要だとばかり、売春ではなく、今後のために別な価値観を植え付けたいと感じた。しかし、一観光客の難しい話など意に介さないイリア。

その上、自国と違い過ぎる文化にカルチャー・ショックを受けたホーマーは、周囲の人間たちにも小難しい議論を吹っ掛けては、煙たがられる始末。

それでも滞在を延長し、何とかイリアに知性を身に付けさせようと躍起になって・・・

ギリシャ人の特性を娼婦をメインに紹介する人間ドラマ。

バイタリティに溢れ、人生を謳歌する人々。酒を飲み、空けたグラスを床に叩きつけてダンスに興じる国民性。

そんな異文化の地にやってきて、我こそ優位性に勝ると信じているアメリカ人との葛藤というか、文明的に洗脳しようと画策する男とギリシャ人らが繰り広げる物語。

主人公が娼婦であり、知性派だが変わり者の学者風情が絡むというのは、後に「マイ・フェア・レディ」(1964)としてリメイクされた「ピグマリオン」(1938・未)の設定をイギリスからギリシャに置き換え、その風土と国民性を加味した作品である。

しかも、本作は成り上がり大国アメリカそのものの優位的視点で、後進国であるギリシャを懐柔し、洗脳しようとする皮肉を込めた作劇にもなっている。

娼婦がヒロインであるが、そこに差別はない設定であり、誰からも好かれるミューズとして描かれ、当然、知性派が敵役という進行であり、結局は歪んだ愛情表現であり、まさか娼婦相手にストレートに恋愛感情などだせるか、という上から目線人間の照れ隠し的接し方で解りやすい。

結局、権力と金に媚びるアメリカ人という設定も、当時のヨーロッパ系知識人たちが、どのように見ていたかの証左であり、社会主義傾倒者が多い知識人の啓蒙活動を娼婦という世界最古の職業女性を通して描いているとも感じる。

知識派ではない庶民というか、肉食系男性と本能で生きる娼婦たち女性の営みこそ、人間社会においては不変の価値を持ち、それこそが人生を謳歌できるのだと声高に謳い上げている。

市井の人間たちの弱さが、権力側に搾取され翻弄されるが、結局、それに勝るのは「生きる本能」に起因する「バイタリティ」で、それは誰にも奪われはしないと提示してくるドラマ。

余談雑談 2018年8月11日
面白い番組に出会った。BS朝日で現在も放送中の「迷宮グルメ 異郷の駅前食堂」という旅&グルメ番組である。 一発屋お笑い芸人のヒロシが単独でヨーロッパやアジアのローカル駅で下車し、近隣散策と食堂を探すもの。 ホスト的風貌ながら、自虐ネタで売っ