スタッフ
監督:ジョン・シュレシンジャー
製作:ジェローム・ヘルマン
脚本:ウォルド・ソルト
撮影:アダム・ホレンダー
音楽:ジョン・バリー
キャスト
ラッツオ / ダスティン・ホフマン
バック / ジョン・ヴォイト
キャス / シルヴィア・マイルズ
オダニエル / ジョン・マッギーヴァー
ナイルズ / ギル・ランキン
シャーリー / ブレンダ・ヴァッカロ
タウニー / バーナード・ヒューズ
アニー / ジェニファー・ソルト
サリー / ルース・ホワイト
日本公開: 1969年
製作国: アメリカ ヘルマン&シュレシンジャ-・プロ作品
配給: ユナイト
あらすじとコメント
「娼婦」という職業。通常は女性をイメージするが、今回は男性の商売として描かれた作品である。大都会で蠢くように生きる男たちの胸が痛くなる秀作。
アメリカ、ニュー・ヨークテキサスの片田舎で皿洗いの仕事をしていたバック(ジョン・ヴォイト)は、大都会NYでは、有閑マダムが逞しい若者を金で買うとテレビで知った。
ならば自分に自信があるからと、テンガロン・ハットに刺繍入りのブーツと目いっぱいの格好をつけ、長距離バスに乗り込んだ。相棒はラジオだけだ。だが、問題ないさ、向こうに着けば、すぐに金持ちになれる。そう信じていた。
やっと念願のNYに着くが、思いの外人間が多く、しかも皆冷たい印象で、他人など関係ないという風情だ。それでも飲み込まれるものかと次々とマダムに声を掛け、やっと一人の女性を捕まえた。ところが、コトが終わると、逆に金を要求された。
失意のまま、バーに行くと、偶然隣に座っていたリッツオ(ダスティン・ホフマン)が声をかけて来た。その手の商売にはマネージャーが必要だ。俺は顔も利くし、早速一人紹介してやると。
初めて優しくされたバックは、彼に付いて相手のいるアパートの部屋に向かうが・・・
大都会のどん底で這うように生きる二人の男を描く秀作。
辺鄙な田舎で生まれ、幼少期は祖母に溺愛され、高校の頃に美人と付き合い、自分はセクシーで最高の男だと自惚れている若者。
まさに「井の中の蛙」である。ただし、自信があるのは肉体だけで、思考は単純。その上、文盲。快楽を得ながら金が稼げると信じ込んでいる。
そんな若者が、NYで自棄気味に生きるイタリア系の男に金を巻き上がれるが、再会した時に彼の絶望的な状況を知る。
自身が想像外の連続で、急激に孤独感に襲われ、一文無しになっていたことから、妙な親近感というか、負け犬的共通性を感じ、相棒となって行く展開。
ところが、登場してくるキャラクター全員が絶望的に孤独であり、それを隠すように皆が、大都会で平然と生きている人間と思い込もうとしているから嫌悪感まで覚醒させてくる。
田舎の若者も無知ゆえ、肉体を売るしか出来ないが、その相手がそもそも中高年女性だし、更には同性だったりと、かなり「いびつ」人間オンパレード。
まさに『大都会の孤独』の集合体という態だ。
しかも、主人公二人が、更に泥沼にハマって行くので、何とも胃酸過多になるような感覚に陥る作劇。
何といっても、ダスティン・ホフマンの演技が秀逸であり、悪寒が走るほどの熱演。
そんな彼が演じる肺病で脚の悪いイタリア男は、寒さが際立つNYからいつか脱出し、陽光溢れるフロリダに行きたいと夢見つつも、どんどん追いつめられて行く進行で、世捨て人でなく、世に捨てられた男と、夢が破れても、夢を見ようとし続ける田舎男。
繁栄と富の象徴であり、サクセス・ストーリーの聖地ニュー・ヨークの大多数の人間たちの実態をえぐる様に描いており、憧れが絶望にしか到達しえない人間たちの寂寥感をアメリカン・ニュー・シネマでありながら、通常の劇映画のティストが一体化して、見事に描かれた秀作である。