真夜中のパーティー – THE BOYS IN THE BAND(1970年)

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スタッフ
監督:ウィリアム・フリードキン
製作:マート・クロウリー
脚本:マート・クロウリー
撮影:アーサー・J・オーニック
音楽:チャールス・フォックス

キャスト
マイケル / ケネス・ネルソン
ハロルド / レオナルド・フレイ
ドナルド / フレデリック・コムズ
エモリー / クリフ・ゴーマン
ラリー / キース・プレンティス
ハンク / ローレンス・ラッキンビル
バーナード / ルーベン・グリーン
アラン / ピーター・ホワイト
男娼 / ロバート・ラ・トゥールノウ

日本公開: 1972年
製作国: アメリカ ア・レオ・プロ他作品
配給: 東和


あらすじとコメント

前回の「真夜中のカーボーイ」(1969)では、田舎からニューヨークにでてきた青年が生きるために『男娼』になった。今回も、そのものズバリのパロディとして男娼が登場する。しかし、相手は「男」のみである。緊迫感溢れるドラマの佳作。

アメリカ、ニューヨーク失業保険で優雅に暮らすマイケル(ケネス・ネルソン)は、同性の恋人ドナルド(フレデリック・コンブス)と、自室でゲイ仲間の誕生日パーティーを催すことになっていた。

そこに大学時代の友人で弁護士のアラン(ピーター・ホワイト)から電話が来て、今、ニューヨークに来てるから是非会って話がしたいと言ってきた。

しかし、アランは男色家ではなく、逆にその手の人間らを差別的に蔑むエリートで、マイケルは困惑する。今夜は忙しいので明日にしてくれないかと答えるが、突然、電話口の向こうでアランは泣きだしてしまう。尋常ならざる彼の態度に不安を感じ、少しだけなら顔をだして良いと返すしかなかった。

そして、ゲイ仲間が次々とやって来る中、再びアランから電話が入る。『さっきは取り乱して申し訳ない。もう大丈夫だから』。

ホッと一安心したマイケルだったが・・・

非常に異色な男たちだけの一晩の出来事を描く佳作。

自室で友人の誕生会を催す恋人同士。やって来る仲間は、いかにも「オネエ系」や、自分の嗜好を対外的に隠す真面目な数学教師と同棲中のフリー・カメラマンら。

更にはサプライズ・プレゼントとして呼ばれた、いかにも田舎者で低能な「真夜中のカーボーイ」を自称する男娼など。しかも約束に大幅に遅れてきた誕生日の男はマリファナを吸い、ラリッている始末。

そこに、突如、ワシントンから来た堅物で、偏見の持ち主の弁護士が闖入してくる。

その『自分らとは違うタイプ』という闖入者によって、それぞれの劣等感やゲイ特有の繊細な感性がズタズタにされたり、各人の秘めた人間性が次々と露呈されていく。

元々はオフ・ブロードウェイの舞台劇であり、本作も、ほぼアパートの一室のみで繰り広げられる。

昨今は、日本でも差別はイカン、ということで、いかにもその手のコメンテイターやバラエティ系のキャラが確立され活躍しているが、その走りでもある。

というよりも、アメリカ系のメジャー映画で、あからさまに「ゲイ」のみを描いたのは本作が初めて。

そういう意味では衝撃作であり、ゲイであることを公言できない男たちが普通だった時代に、これほど露骨なまでに描いたことには驚愕させられる。

彼らゆえの繊細で知的な感性や、逆に虐げられ生きているからこそのシニカルさが前面に溢れだし、鳥肌が立っていく進行。

嫌味の応酬や、相手の心情を踏みにじったりと、実に気色悪く、胸が詰まっていく展開は、舞台劇ならでは的である。

連想したのは、狭い一室で繰り広げられる陪審員たちの討論ドラマの秀作「十二人の怒れる男」(1957)。

同じく一日の出来事を描いたもので、全員が参集してからは、一切、部屋から外へカメラがでないし、閉塞的な空間内で息詰まる論戦というか、被差別者ゆえのインテリジェンスと劣等感に苛まれる男たちの、実に「イヤらしい」会話と展開が連続していく。

当然、直接的ラブシーンなどないが、セックスを連想させる内容で、あまりにも気色悪いと感じる人間もいよう。

俳優陣も日本では無名ゆえのリアリティがあり、こういうのが男色家というか、ゲイというか、虐げられながらも自己を認知し生きて行く『人間』なのかと理解できる良く出来た会話劇である。

余談雑談 2018年8月25日
気に入っていた洋食屋が二軒立て続けに閉店し消沈中。 そうとなると無性に恋しい。で、自室から1キロ強の北側で閉店した店近くに、何かあったような気がしたので、暑い最中探索し、一軒見つけた。洋食屋というよりは食堂で、近隣の職工や工事関係者ばかり。