スタッフ
監督:ジャン・コクトー
製作:アレクサンドル・ムニューシュキン
脚本:ジャン・コクトー
台詞:ジャン・コクトー
美術:クリスチャン・ベラール
撮影:ミッシェル・ケルベール
音楽:ジョルジュ・オーリック
キャスト
ミッシェル / ジャン・マレー
マリアンヌ / ジョゼット・デイ
レオ / ガブリエル・ドルジア
ジョルジュ / マルセル・アンドレ
イヴォンヌ / イヴォンヌ・ド・ブレー
ナレーション / ジャン・コクトー
日本公開: 1949年
製作国: フランス アリアーヌ作品
配給: 東宝
あらすじとコメント
今回も詩人であり、監督でもあるジャン・コクトー作品を紹介する。コクトー監督と俳優ジャン・マレーは、実生活では恋人だったと言われている。その二人が組んだ作品で、密室劇として鳥肌が立つ、おぞましいドラマ。
フランス・パリアパルトマンの一室に売れそうにもない水中銃の開発に取り組むジョルジュ(マルセル・アンドレ)と自閉症気味の妻イヴォンヌ(イヴォンヌ・ド・ブレー)がいた。掃除もしないので部屋は散らかり、所構わずタバコの灰を落とすイヴォンヌは、常に神経衰弱さを醸している。
他にはひとり息子で22歳になるミッシェル(ジャン・マレー)とイヴォンヌの妹で、独身のレオ(ガブリエル・ドルジア)も同居し、四人で暮らしている。実は、レオとジョルジュは、昔、婚約をしていたが姉のイヴォンヌに取られていたのだ。
そんなイヴォンヌは、ミッシェルが生まれてから彼を溺愛し、それ以降、家事など一切しない性格になった。
その息子が初めて無断外泊した。焦燥しきったイヴォンヌは、持病の糖尿病のため、低血糖で倒れてしまう。何とかジョルジュとレオが対応し、事なきを得ると、そこにミッシェルがそっと帰宅してきた・・・
サスペンス・タッチで進行する息詰る愛憎劇の佳作。
近親相姦を思わせる母と子。特に母親は極端に息子を溺愛し、夫や妹を蔑ろにしている。その上、糖尿病で神経衰弱気味。
息子も、そんな母親を名前で呼び、駄々っ子のように甘える。
相互依存というか、甘え、逃避、身勝手さと狡さも匂い立つ。
その関係性が、いびつで気色悪い。ところが、そんな息子が3歳年上の女性に恋をしたことから、一家を巻き込む大騒動となっていく展開。
初めての異性で舞い上がり、喜々として報告する息子。一瞬にして顔色が変わる母親。しかも、その相手には50歳になるパトロンがいるが、自分との交際のために別れるから安心との一言で、弄ばれていると完全に狼狽。
その上、父親にも何やら秘密めいた関係の人間の存在が浮上。
そんな人々を支配しようとするのが、かつて姉に恋人を寝取られた妹である。その妹も、未だにかつての恋人だった姉夫に未練があるようだ。
誰もが身勝手で個人主義の蓑を着た魍魎たち。
登場人物は、この四人に息子の恋人の五人だけ。しかも登場するのは家族の住むアパルトマンと息子の恋人の部屋だけという、完全に舞台劇の構成。
映像テクニックやカット割りなど監督としても気を遣っているが、やはり、原作、脚本のコクトーの視点の鋭さが際立つ。
誰もがいびつで不完全。それでも、自身では、誰もそのいびつさに気付いていないという人間の幼稚さ。
全員がオーバー・アクト気味なのも舞台風であるが、精神的に不安定な母親役のイヴォンヌ・ド・プレーの鬼気迫る演技と裏ですべてを操作しようとする妹役のガブリエル・ドルジアの抑えた対照的な演技が目立つ。
人間の業を、これでもかと見せ付けてくるコクトーの独特な視線も、どことなく同性愛者的な斜に構えた感がある。
心の奥底にある隠しておきたい部分を他人に覗き見させる戯曲を、敢えて、そのまま舞台風に撮影するというコクトーなりの挑戦は、ある意味で成功しているといえよう。