オール・ザ・キングスメン – ALL THE KING’S MEN(1949年)

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スタッフ
監督:ロバート・ロッセン
製作:ロバート・ロッセン
脚本:ロバート・ロッセン
撮影:バーネット・ガフィ
音楽:モリス・ストロフ

キャスト
スターク / ブロデリック・クロフォード
バーデン / ジョン・アイアランド
アン / ジョーン・ドルー
ルーシー / アン・シーモア
バーク / メルセデス・マッケンブリッジ
トム / ジョン・デレク
アダム / シェパード・ストラドウィック
ダフィ / ラルフ・ダンケ
スタントン / レイモンド・グリーンリーフ

日本公開: 1976年
製作国: アメリカ R・ロッセン・プロ作品
配給: IP


あらすじとコメント

直ちに大統領ではないが、政治家を目指す作品にしてみる。義憤と正義感から貧民を救済したいという人間の脆弱さをストレートに描く力作。

アメリカ、某州カノーマ市来る市長選に立候補しようと街頭で演説するスターク(ブロデリック・クロフォード)。彼は町を牛耳る男たちが市民を抑圧していると義憤に感じ、自分らの私利私欲のために正義漢面しているので、データを含む真実を市民に知らせようとの決意からであった。

そんな情報を得た新聞記者で、近くの町の出身者バーデン(ジョン・アイアランド)は取材を試みる。しかし、市政側は不当逮捕に踏み切り、一緒にいたバーデンのカメラまで取り上げた。それでも自分は負けないと宣言するスターク。そんな彼の信念に感銘を受けたバーデンも密着取材を申しでた。しかし、選挙は惨敗。

すると無学なスタークは次期立候補のため、妻の援助の下、弁護士を目指し始める。そんな時、彼が告発していた不正予算の手抜き工事の所為で小学校の階段崩落事故が起き、犠牲者が多数出てしまう。

やっと彼が言う真実に目覚めた市民たちは・・・

正義を目指す男が辿る人間の脆さを描く力作。

市民のためにと立ち上がった男だが、何の方策もなく、信念だけの直情型ゆえに落選である。

それでも真向再勝負を考えるが、そこに格上の州知事選をにらむ面々に利用されていくという展開。

やがて、政界の実勢を知り、今までお偉方のスパイであった女性やら、やはり自分の信念ゆえに退職した元新聞記者をも取り込み、階段を上っていこうとする。

だが、その方法が前任者たちと同じく、脅迫や恫喝といった汚い手を使用し、金権体質へと舵を切ることでもあったのだ。

そのあたりから映画は変調し、主人公に絡む人間たちも含め、全員が保身と上昇志向に走っていく展開になる。

本作が興味深いのは主人公を応援する市井の人間や、虐げられている農民たちが集会で、彼の演説に聞き惚れる姿を、全く同じカットを数度登場させつつ、こちらに想起させる印象が全く異なる印象を与えるテクニック。

要は、最後まで純粋で居続けるのは平民たちだけであり、無学と情報不足ゆえの純朴さは、結局、餌食になってしまうという、紛れもない真実。

権力側に付く人間らの優越意識とギャンブル的要素を排除していき、結果、間違いない大本命となり、そこに安心感を見いだそうとする主人公らの人間としての弱さを際立たせていく。

身震いがして、悪寒が走る人間たちの中で、一握りだが、本来の『善意ある人間性』を取り戻そうとする登場人物たちにどのような結末を迎えさせるのか。

理想を掲げ、善意を表しつつ、結局、人間とは、どれほど不安感と猜疑心に捕らわれていくのか。

やはり、政治家なりブレーンを目指す人間たちは、その優位性を誇示するために、愚民が多い方が、ラクであると集約して行ってしまうという性。

確かに、「そもそも論」として、敬われたいとか、承認欲求が高い人間ばかりがピラミッドの頂点を目指していくのだろうと、政治不信に拍車をかける作品。

残念だが、今でもほぼ全世界の指導者たちの言動は、本作製作時と何ら変わっていないと絶望感に襲われる力作。

余談雑談 2018年12月29日
ほんの数日前のこと。高校の映画サークルで一緒だった友人から連絡が来た。 夏と暮れの二回、近況報告と言いつつ、結局、映画のことばかりを話し合うという関係を二十年程続けていた奴だ。 ところが去年の暮、例年通り誘いをかけたら、母親が体調を崩し、看