スタッフ
監督:ロバート・ベントン
製作:アーレン・ドノヴァン、S・ルーディン
脚本:ロバート・ベントン、リチャード・ルッソ
撮影:ビョートル・ソボチンスキー
音楽:エルマー・バーンスタイン
キャスト
ロス / ポール・ミューマン
キャサリン / スーザン・サランドン
エイムス / ジーン・ハックマン
ホープ / ジェームス・ガーナー
ヴァーナ / ストッカード・チャニング
エスコバー / ジャンカルロ・エスポジート
イーガン / ジョン・スペンサー
メル / リース・ウィザースプーン
アイヴァー / M・エメット・ウォルシュ
日本公開: 未公開
製作国: アメリカ パラマウント作品
配給: なし
あらすじとコメント
前回はポール・ニューマンが私立探偵を演じた作品だった。今回も彼が探偵を演じた作品。老境の彼が、別なイメージで繰り広げる未公開作。
アメリカ、ロサンジェルス元警官で探偵のロス(ポール・ニューマン)は、ヴェテラン男優エイムス(ジーン・ハックマン)と女優の妻キャサリン(スーザン・サランドン)の邸宅に居候中。
元はと言えば2年前、夫妻の一人娘メル(リース・ウィザースプーン)が17歳当時、ジゴロ男とメキシコ旅行に行った折、ロスが連れ戻しを依頼されたが、娘の放った銃弾で脚の付け根を負傷し、以後、仕事が出来なくなったゆえの温情からだ。
しかし、エイムスは癌を発症し余命1年と診断され、化学治療を受けるように勧めらているが拒否している状況であった。そんなエイムスが密かに、とある女性に届けて欲しいと現金の入った封筒をロスに手渡してきた。
そこは男同士のあうんの呼吸で相手先を訪れると、何やら様子がおかしいのに気付いたが、いきなり瀕死の見知らぬ男から発砲された。慌てて浴室に逃げ込むロスだが、男は死亡。やばい状況だと逃げようとするが既に警察が到着しており、逮捕されてしまう。連行されるが、元同僚たちが妙に自分に気遣いするので、逆に訝しがる。
一方、彼を心配したエイムスが、ロスの元同僚で今は探偵業のホープ(ジェームス・ガーナー)も呼んでいて・・・
老境の人間たちが織り成す渋い作劇の探偵映画。
探偵映画が転換期を迎えた60年代後半以降、TVムーヴィーも含め、内容よりもムード重視のハードボイルドが制作された。
西部劇同様、忘れ去られた遺物的スタンスでもあり、薹が立ったヴェテラン俳優たちによる、あの頃は良かった的ノスタルジック・ムードを優先した作品が多く、故に日本でも劇場公開作は激減していた。
本作もそんな位置にある作品。内容は、殺人犯に間違われた主人公が真相を探っていくという、ありがちな進行で、しかもキャストがロートルばかりなので、派手なアクションもなく、実に地味で、枯れた雰囲気が全編を貫く。
ただし、少なくとも、60年代後半以降の映画を追ってきた人間からすると、「動く標的」(1966)のポール・ニューマン、「ナイトムーブス」(1975)のジーン・ハックマン、フィリップ・マーロウが登場する「かわいい女」(1969)のジェームス・ガーナーと3人の『往年の探偵役』を演じた俳優たちの共演による映画であり、それだけでニヤニヤした。
その上、スーザン・サランドンやストッカード・チャニングという女優を起用し、本作以後売れる女優リース・ウィザースプーンまで出演しシネマディクト心理を刺激する。
音楽も、敢えて往年らしさを封印したエルマー・バーンスタインだし、彼らの集大成的作品として制作されているイメージ。
観客も往年のファンを意識しての作劇進行なので、若い人々にはまどこっしくて怠惰な印象を与えるだろう。
それでも、『盛りは過ぎたが、それがどうした』的開き直りを感じて嬉しくなった。しかも、主要キャストは見事に人生の盛りを過ぎたか、黄昏の人間ばかりな点も、偏っている。
股間を撃たれて男性として機能しないと思われ同情されている主人公の設定やら、俳優という職業ゆえの性が人間の本性を感じさせるなど、「動く標的」同様、ハリウッドという『夢の都』に蠢く、魍魎たちのあがきを、解る人間だけに解れば良いという開き直りを感じさせる作品。
当然、自分はハマった口であり、「動く標的」よりも好きな作品。