スタッフ
監督:是枝裕和
製作:川越和実、重信浩、久松猛朗、李鳳宇
脚本:是枝裕和
撮影:山崎裕
音楽:ゴンチチ
キャスト
横山良多 / 阿部寛
同 とし子(良多の母) / 樹木希林
同 恭平 (良多の父)/ 原田芳雄
同 ゆかり(良多の妻)/ 夏川結衣
同 あつし(ゆかりの息子)/ 田中祥平
片岡ちなみ (良多の姉)/ YOU
同 信夫 (ちなみの夫)/ 高橋和也
同 さつき (ちなみの娘)/ 野本ほたる
同 睦 (ちなみの息子)/ 林凌雅
小松健太郎 / 寺島進
製作国: 日本 「歩いても歩いても」製作委員会作品
配給: シネカノン
あらすじとコメント
現代の様々な家族形態を描き続け、今や世界の映画賞も獲り、日本を代表する監督になった是枝裕和。本作もそんな一本で、等身大の人間としての不器用さと個人としての本音を描くが、そこにあるのは、今も昔もわらない流れ。
神奈川、湘南あたり夏の盛りを過ぎたころ。医院を廃業した横山恭平(原田芳雄)と、とし子(樹木希林)夫婦の家へ、長女夫妻が二人の子供を連れて来ていた。15年ほど前に死んだ長男の命日だったからだ。
どうやら、老いた両親の行く末と自分たちの先行きを考えて、近い将来一緒に暮らそうと思っている長女。そこへ次男の良多(阿部寛)とゆかり(夏川結衣)夫婦がやって来る。だが、何か気まずさを感じている良多。自分が現在失業中だと知られたくないし、死別した夫とのひとり息子がいるゆかりとは再婚だったからだ。
しかし、良多の帰省に一番、落ち着かなかったのは、恭平の方だった・・・
残酷なホームドラマの佳作。
医院を廃業し暇を持て余しているが医者としてのプライドが強い父親。死んだ長男の面影を抱き続け、その呪縛を快くさえ感じている母親。
二人が住んでいるのは、年季の入った二階家だ。台所や風呂場も経年のままで、くたびれているが、直す気もなく、そのまま使い続けている。
そこへ帰省してくる二人の子供とその家族たち。既に子供等も中年である。すべてがくたびれている。
親からすれば、いつまでも子供は子供である。しかし、子供たちは成長し、大人の一個人としての、それぞれの価値観と感情を持っている。
それでも横たわるのは同じ血の流れである。それは揺るぎない事実。そして嫌でも死ぬまで流れる。
家族ゆえの甘えと、独立した成人としての素直な感情が飛び交う等身大の会話。その会話に、家族でありながら、各々の違う価値観が浮き彫りになり、鳥肌が立つ。
昔のTVのホームドラマのように時には感情をぶつけ、殴りあったりする時代ではない。
お互いを『個』の人間として認知し、だからこそ、自分の実力で幸せを掴み取る。ある種の「アメリカン・ドリーム」。だが、それとは違う文化風習。
「日本」という国だからこその、そして血の繋がる家族間で纏わり付くように漂う『あうん』の呼吸。だからこそ、当然のように感じるのは、耐え難い息苦しさである。
『血族』という大きな流れ。だが、夫婦とは他人である。長女の夫の『妻の実家』での立ち振る舞い。次男の妻は子連れの再婚。当然、そのことに引け目を感じている。
更には、老夫婦からすれば孫に当たる子供たち。彼らは現代を顕著に写しだす鏡だ。
いつもは二人しかいなく、広さを感じているであろう古臭い家に一挙に七人の人間が集う息苦しさ。何気ない会話のひとつひとつに潜む人間の業。
年老いた親にも気を使い、自分の相手へも気を使う。常にバランス感覚が身に沁みている日本人像。だが、何かが違う。
長女夫婦は日帰りで帰るが、次男夫婦は一泊する。そこで、何が起きるのか。だが、決して激しくドラマティックなことは起きない。それでいて身も凍る違和感が漂う。
どこかカビ臭さを感じる空間で、綺麗に映しだされる家庭料理の数々。すべてが等身大で懐かしさを感じる。
日本映画で家族を描くというと、昔の小津安二郎でもなく、成瀬巳喜男の世界でもない。昔と大して違わない静かな会話に流れるのは現代的な虚無感と底冷え。
そこにTVとは違う映画の流れを感じた。ただ、個人的には、時々リズム感を狂わす画面の切取り方とゴンチチによる音楽の使い方が気になった。
だが、キャスト皆、見事。まるで、本当のそこいらの家庭にカメラを据えたドキュメンタリーを見ているかのような演技。
その中でも、樹木希林の演技は白眉。熟年ゆえの諦念と血も凍るような性。否や、むしろ狂気とも呼べよう。
離れて暮らす家族という存在を再考し、血の流れを痛烈に感じる作品。