スタッフ
監督:サム・ペキンパー
製作:フィル・フェルドマン
脚本:ジョン・クロフォード、E・ベニー
撮影:ルシアン・バラード
音楽:ジェリー・ゴールドスミス
キャスト
ホーグ / ジェーソン・ロバーズ
ヒルディ / ステラ・スティーヴンス
スローン / デヴィッド・ワーナー
ボーウェン / ストローサー・マーティン
タガード / L・Q・ジョーンズ
フェアチャイルド / スリム・ピケンズ
クィットナー / R・G・アームストロング
パウエル / ヴォーン・テイラー
クリート / ジーン・エヴァンス
日本公開: 1970年
製作国: アメリカ P・フェルドマン・プロ作品
配給: ワーナー
あらすじとコメント
西部を愛したサム・ペキンパー。彼の滅びの美学が前面にでた挽歌的ウエスタンを選んでみた。時代の流れなど関係なく、荒野に生きる人間たちへの追悼をさりげなく描く作品。
アメリカ、アリゾナ深鉱試掘で荒野にいたホーグ(ジェイソン・ロバーズ)は、仲間の二人に裏切られ、少量だけ残った水とロバを奪われる。一度は反撃しようと銃を向けたが、結局、人を撃ったことがない気弱な中年男。そんな性格を知っている仲間らも命までは取らずに、彼を置き去りにした。
食料も水もなく、神に祈りながら砂嵐の中を彷徨い続けるが、いよいよこれまでという時、偶然に水源を発見。これで生き延びれるぞ、と。天候が回復すると、すぐ近くに駅馬車が通る街道があるのに気付いた。
運が向いてきたと、自分の所有地だとばかり小屋を作り始めるホーグ。そこに神父だと名乗るが、どうにも訝しいスローン(デヴィッド・ワーナー)がやって来る。タダで水を飲もうとしたスローンに銃を向けた。だが、彼は登記はしたのかと笑った。意味が解らぬホーグに、町へ行き登記しないと、誰かに取られるぞと告げるスローン。慌てたホーグは全財産であるたった2ドルを握りしめ、神父の馬で町へ向かった。
しかし、文盲の彼は登記所がどこかも解らない。偶然通りかかったグラマーでセクシーなヒルディ(ステラ・スティーヴンス)に声を掛け・・・
遅すぎたアメリカン・ドリーム体現者の波乱な運命を描く挽歌。
仲間に裏切られ、放浪の末、死を覚悟した直後に水源を発見し、以後、駅馬車中継所経営者として成り上っていく男。
無学で文盲で、いつか裏切った仲間が中継所にやって来るのを待っている。復讐のために。
そしてフリー・セックスを勧める怪しい神父に、玉の輿を思い描く売春婦。この三人がメインだ。
汗と脂臭さが充満する西部男たち。かなりリアルである。そこはいかにもペキンパーっぽい。
だが、超偶然に水源を発見という『奇跡』が前提のストーリィなので、リアル感を追求する彼の作品としては、少し弱い気がした。そして、どこかで、また違う奇跡でも起こるのかと勘繰ってしまった。
ところがその心配は杞憂であった。孤独で無学な男が、自分なりに成長しようとするが、不器用ゆえに少し上手く行っては、こぼれ落ちていく幸運を運命と受け入れつつ、砂漠で生きていく。
人が大勢いるところは苦手だと公言するが、恋仲になる売春婦は大都会で貴婦人として生活したいと願っている。その価値観の相違に、行く末が暗示されていると感じるだろう。怪しい神父は、女なら誰でも良いというペテン師風情。
金の亡者の駅馬車経営者もいれば、鷹揚な銀行頭取などもサブキャラで登場してくる。
西部の田舎町と砂漠でのみ繰り広げられるドラマであるが、終盤でいきなり文明の利器が登場して来て、一気に哀愁感が漂いだす。
彼らの知らないところで、文明は発展し、昔気質な生き方は、突然取り残されたのだと痛感させられる。
主人公を裏切った仲間も再登場して来て、いよいよ、昔風の生き方は、通用しなくなるぞと謳い上げる。
いかにもペキンパー好みの取り残されて、やがて滅んで行きざるを得ない人間たちの人間らしい生き様。
当然、ハッピーエンドは成立しないし、逆に、血なまぐさい末路ではないところに監督の新境地を嗅ぎ取った。
かといって潔い挽歌として謳い上げないし、胸をえぐるような興奮も存在しない。
万感迫るほどの哀歌でもないところに、少し興を削がれるが、それでも、取り残された人間たちの不器用な生き様を描いた作品としては記憶に残る。