ファイブ・イージー・ピーセス – FIVE EASY PIECES(1970年)

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スタッフ
監督:ボブ・ラフェルソン
製作:B・ラフェルソン、リチャード・ウェクスラー
脚本:エイドリアン・ジョイス
撮影:ラズロ・コヴァックス
音楽:タミー・ウィネット

キャスト
デュピー / ジャック・ニコルソン
レイ / カレン・ブラック
エルトン / ビリー・グリーン・ブッシュ
ストーニー / ファニー・フラッグ
キャサリン / スーザン・アンスパッチ
ティタ / ロイス・スミス
スパイサー / ジョン・P・ライアン
ニコラス / ウィリアム・チャーリー
カール / ラルフ・ウェイト

日本公開: 1971年
製作国: アメリカ BBS・プロ作品
配給: コロンビア


あらすじとコメント

今回もアメリカン・ニュー・シネマにしてみる。生きる目的を持たない若者の枯渇感を淡々と描く佳作。

アメリカ、カリフォルニア南部の石油採掘場で働くデュビー(ジャック・ニコルソン)は、ウェイトレスのレイ(カレン・ブラック)と同棲中である。それでも仕事に気分が乗らないと朝から酒を飲んだり、仲間のエルトン(ビリー・グリーン・ブッシュ)と乱交パーティーを繰り広げたりと気儘で怠惰な生活を送る男だ。

そんな彼に心底惚れているレイは結婚を夢見ているが、一向にそれらしき言動がないことに苛立っている。更に彼女の気持ちを知ってか知らずか、デピューはボーリング場で知り合った女と浮気する始末。それでもレイは怒れずに泣くばかり。

まったく彼女の気持ちなど考えずに行動するデュビーだが、レイから妊娠していることを告げられ・・・

心など持ち合わせていない態の青年の日常と変化を描く人間ドラマ。

何事も思慮することなく場当たりの人生を送る主人公。当然の帰結か恋人も知的レベルは低い。

だが、主人公はピアノが妙に上手く、育ちそのものは悪くなさそうでもある。

極端に無神経で身勝手ゆえ、どうにも肩入れできない主人公の日常を適度な突き放し感を保ちつつ追っていく作劇。

全くもって『身勝手』という軸がまったくブレないし、恋人以外の人間は彼に振り回されるわけでもない。結局、彼の個性は受け入れられているようにも見える

恋人の妊娠が発覚しても、その無感心さと己と直面しようとしない逃避性は変わらない。それでも他の女性への欲望は忘れず、相手がどう感じるかなどお構いなしだが、やがて主人公の心を見抜き、逆に、追いつめるような女性も登場してくる。

それにより彼の心にも一矢刺さる。その時、彼はどうするのか。

ニュー・シネマ作品群の主軸のひとつである「自分探し」ではなく、「自分放置」というスタンス。

彼自身は素直な心情なのだろうが、こちらには自己詭弁としか受け取れない。

しかし、それもヴェトナム戦争下という時代が、主人公のような若者を生みだし、増長させていくとも感じる。

考えようによっては、将来に何ら希望を見いだせもせず、かといって反抗的な態度もしない、実に控え目に見える自己主張でもあるし、逆に、物事を深く考えたり、悩まない性格は、苛酷な密林の戦場から帰還した兵士のなれの果て的印象も想起させる。

B級映画の雄ロジャー・コーマンに見出されたが、どうでもいい映画に出演し続け、出世作となった「イージー・ライダー」(1969)という主流を継承するイメージのジャック・ニコルソンの演技は、間違いなく、以後の彼の演技に影響を強く与えていると感じる。ただし、彼の演技が好きかどうかは別れようが。

いかにもアクが強いニコルソンに、敢えて喜怒哀楽を表現させない演技進行が、逆に『内に秘めた狂気』的人間の欲望を際立たせている。

何とも持って行き場のない内容が最後まで続くが、ラストのガソリンスタンドでの長回しシーンは印象的。定点カメラの映像の如く『引き』の画面で静かに描かれる一連の動きは、本作を通して貫かれる人間の虚無感を見事に表している。

実に地味だが、ニュー・シネマを語る上で外してはいけない一本である。

余談雑談 2019年3月30日
一挙に満開になった眼下の桜。案の定、平日の昼間から桜見酒を楽しんむグループも。まあ、暫くの辛抱だ。 そんな中、急遽決まった小学校の臨時同窓会に顔を出してきた。先約があったので、二次会からの参加ということで。 発起人は出世頭の東大の教授君。彼