ジョンとメリー – JOHN AND MARY(1969年)

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スタッフ
監督:ピーター・イエーツ
製作:ベン・カディッシュ
脚本:ジョン・モーティマー
撮影:ゲイン・レシャー
音楽:クインシー・ジョーンズ

キャスト
ジョン / ダスティン・ホフマン
メリー / ミア・ファロー
ジェームス / マイケル・トーラン
ルース / サニー・グリフィン
アーネスト / スタンリー・ベック
ヒラリー / タイン・デイリー
フラン / ジュリー・ガーフィールド
ジェーン / アリックス・エリアス
ジョンの母親 / オリンピア・デュカキス

日本公開: 1969年
製作国: アメリカ 20世紀フォックス作品
配給: 20世紀フォックス

あらすじとコメント

ニューヨークの若者事情。前回は法科大生の葛藤だったが、今回は恋愛に特化した作品。大都会ならでは孤独感が織り成すドラマ。

アメリカ、ニューヨークとある朝、寝室のベッドで目覚めたメリー(ミア・ファロー)。傍らには部屋の持ち主ジョン(ダスティン・ホフマン)が寝息を立てている。

しかし、それは彼の演技で、彼女が全裸で立ち上がり、窓際で街の風景を見つめるのを素知らぬ顔で見ていた。彼女は近くのタオルケットを羽織ると他の部屋を見て回る。

男は起きるとシャワーに行った。その後、彼女にシャワーを勧め、朝食は何が良いかと尋ねた。

何でも良いわ。単純な答えだった。そして、彼女がシャワーを浴びる間に、朝食の準備に取り掛かる男。心の中では、こう呟きながら。

気を付けよう、部屋が一つじゃないことを知って彼女はここに引っ越してくる、と言いだすかもしれないな・・・

一夜を共にした見ず知らずの男女が過ごす一日の物語。

孤独な人間たちが集い、恋人を探すバー。

誰もが孤独だが、それを隠し明るく異性と知り合おうとしている。大都会の孤独を紛らわす場所としては持って来い、否や、吹き溜まりのような店。

そこで知り合った男女が数時間もしないうちにベッドを共にする。若いが、お互いが「大人」だと思っているし、それぞれの価値観もあろうが、激しく燃えた後の朝は気まずいのか。

そして、いきなり関係を持った男女は、単なる行きずりの恋として別れ、いつもの人生をすぐに歩み始めるのか。

ハッキリ言って、散々、大都会ニューヨークだからこそ作られてきた作品群のひとつ。

では、どのように見せるのか。登場人物は、ほぼ二人。本作は、気まずさと孤独と焦燥感に苛まれながら、ごく普通の会話を交わしつつ、お互いの心の声をモノローグとして被せてくる作劇。

そして、男はファッション・モデルとの同棲と解消、女は州議会議員との不倫の過去が断片的に描かれ、その過去ゆえの現在の会話とモノローグになっている。

若者らしく、どこかドライというか、否や、底冷えのするような精神的未成長部分と肉体享楽優先の乖離した姿が浮かび上がる。

男女の価値観というか、考え方の違いと生物としての生存欲求的衝動。

孤独だからこそ欲深い。それは男女関係なく、大都会で暮らすからこそ際立つことなのだろう。

そんな男女双方ともに嫉妬や競争心が渦巻き、人間としての「大らかさ」や「伸びやかさ」はない。それが大都会で、外国出身やら田舎者として蔑視されないための見栄なのかもしれない。

だからこそ、敢えて、二人の名前が「ジョン」と「メリー」なのだろう。当時、アメリカで一番多い男女の名前で、そこらへんに普通に転がっている名前。

つまり、個性的であり、個人優先の生き様のはずが、人口が密集すればするほど、当たり前のように多数派になる所でもあるのだ。

それでも、自分は他人とは違う価値観なり生き方をしようと、もがけばもがくほど、結局は誰もが同じ価値観に集約され、孤独には勝てないのだということを示唆していく作品。

余談雑談 2019年4月13日
編集部へバスで向かい、いつも下車する停留所に着いたのが朝9時過ぎのこと。 そこから割と急な坂を下って行くのだが、途中は有名小学校や国立大学に挟まれた道。名残りの桜が花弁を舞い散らし歩道はピンクに覆われていた。 いつもだったら歩行者が少ないの