フェリーニのローマ – FELLINI ROMA(1972年)

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スタッフ
監督:フェデリコ・フェリーニ
製作:テューリ・ヴァーシル
脚本:ヴェルナルディーノ・ザッポーニ、F・フェリーニ
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽:ニーノ・ロータ

キャスト
18歳のフェリーニ / ピーター・ゴンザレス・ファルコン
ドロレス / フィオナ・フローレンス
薬剤師の妻 / エルザ・マルティネッリ
ドミテッラ王女 / ビア・デ・ドーゼス
ヒッピーの若者 / デニス・クリストファー
案内人 / マーン・メイトランド
枢機卿 / レナート・ジョヴァンノーリ
ゴア・ヴィダル / 彼自身
アンナ・マニャーニ / 彼女自身

日本公開: 1972年
製作国: イタリア ウルトラ・フィルム作品
配給: ユナイト

あらすじとコメント

前回は古代ローマ帝国が舞台の作品で、考えれば紀元前から現在まで先進国であり続ける国でもあるイタリア。その歴史を自国民であるフェリーニが撮るとどうなるか。成程と唸る彼らしい良作。

イタリア、ローマフェリーニはローマから300キロ近く離れたリミニで生まれ育った。当然、当時は未知の大都会であったローマ。そんな彼は、物心ついた頃に持ったローマへのイメージを回想し始めた。

そして第二次大戦の頃に上京してからの実体験への想い出まで辿り着き、それを検証しようとカメラとマイクを持ち、ローマの街頭に向った・・・

フェリーニのローマに対するイメージを時空を超えて描きだすファンタジー性の強い良作。

紀元前から破壊や衰退を繰り返し栄えるローマ。数々の映画の舞台となり、世界中の人間が憧れる観光スポットでもあった。

街の至る所に名所旧跡が現存し、バイタリティ溢れる人間が目立つイメージ。当然、それらを知った上で、フェリーニはどう捌いていくのか。

監督自身が憧れと畏敬を持った幼少時代。その思いを持ったまま、思春期に単身上京した下宿先での人間模様。そしてヒッピーとフリー・セックスに興じる若者が跋扈する現代を時系列ではなく、行ったり来たりしながら紡いでいく作品。

まさしくフェリー二の頭の中を映像化している。それは「玉手箱」ではなく、「おもちゃ箱」であり、しかも箱の中は整然と整理されておらず、雑多なごった煮状態そのままに描きだす。

そのどのエピソードも、いかにも監督らしいし、ローマらしい。

小学校時代、厳粛な校長に連れられて行ったルビコン川の課外授業で「シーザーはローマに進軍するにあたり、『賽は投げられた』と言って川を渡った」と説明を受ける場面から始まる。

そして授業で映しだされるローマのスライドは観光的写真ではなく、昔の絵だ。

場面が変り、現代になると「すべての道は高速道路から入る」と揶揄する。

戦時下の下宿先には実に不思議で雑多な人間が暮らし、異性に興味を持つと、フリー・セックス時代ではないので、路地裏の娼館に行くしかないという自身の実体験を、ある意味、グロテスクに描く。

イマジネーションの世界では、ローマの地下鉄工事が遅れる理由、教会内で繰り広げられる「法衣と聖衣のファッションショー」に涙する聖職者や寄付をするパトロンたちを描きだす。

そして、『映画は理論ではない』という監督の自負を語り、事実、新旧のおもちゃが雑多に入った「おもちゃ箱」をひっくり返していく。

物語の整合性はなく、プロアマを問わない出演者たちは、誰もが奇妙であり、グロテスクさを脂臭いほど発散させる。

すごいメークで登場する娼館の女性たちや身勝手でバイタリティ溢れる住民たちが集う広場に面した食堂での群像場面。

そして、監督自身が語りかける現代人へのインタビュー。誰もが自分の意見が正しいという論調だし、政治や社会情勢に対して逆に監督に質問を投げかける若者たちもいる。

最後まで雑多なシーンばかりが列挙され続けるが、全編を通すと監督の価値観と確信が浮かび上がる。

歴史は流れ、記憶は美化されるが、それは全個人各々が持つ価値感であり、交わることもあれば殴り合いの喧嘩に発展することもある。

そして、何も個人間だけではなく、国同士や宗教観の違いでも起こり得るものであり、優雅に流れる大河のようには行かず、行く末は海へすら注がず、決して、交わって昇華するものではない。

やはり、フェリーニはある意味での天才だと感じさせる作品。

余談雑談 2019年5月25日
令和初の集中豪雨を経験した日本。東京も例外ではなく、朝からその報道ばかりでもあった。 そんな中、出掛けて戻ると窓のサッシから漏水していた。以前から、風向きにも寄るが窓に打ち付ける豪雨では起きた。ビル専属の内装業者に相談したが、築50年を超え