フェリーニの道化師 – I CLOWNS(1970年)

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スタッフ
監督:フェデリコ・フェリーニ
製作:エリオ・スカルダマーリャ
脚本:F・フェリーニ、ベルナルディーノ・ザッポーニ
撮影:ダリオ・ディ・パルマ
音楽:ニーノ・ロータ

キャスト
彼自身 / フェデリコ・フェリーニ
彼自身 / リッカルド・ビッリ
彼自身 / ジジ・レダー
彼自身 / ヴァレンティーニ
彼自身 / ティーノ・スコッティ
彼自身 / ファンフッラ
彼自身 / カルロ・リッツオ
彼自身 / メルリ
彼自身 / アルベルト・コロンバイオーニ

日本公開: 1976年
製作国: イタリア ライ作品
配給: 東宝東和

あらすじとコメント

今回もフェリーニ作品にする。彼の映画に度々登場する「巨漢女性」と「道化師」。それは何故かという疑問を解明してくれる、彼自身の価値観を見事に表したドキュメンタリー的秀作。

イタリア、リミニとある少年の家の前に、突如、人が集まり、何やら作業を始めた。やがて、それは巨大なテントであり、自分の家よりも大きいのではないかと驚く少年。それはサーカスの巡業テントであった。

娯楽が少ないので、大人たちは大喜びだ。早速、母親に連れられてサーカスを見に行く少年。ところが、あまりにも現実離れした世界に驚いて,泣きだしてしまう。慌てた母親は怒りながらも少年を連れだした。

そして現在、それは自分の実体験だと話すフェリーニ(フェデリコ・フェリーニ)の姿があった・・・

笑われる商売である道化師たちの真の姿を浮かび上がらせる秀作。

フェリーニにとっては怪力自慢の巨女や、小さな大人、派手に大騒ぎする道化師は、現実世界では見たことがなかったので、歓喜よりも恐怖心が先立った原体験だった。

サスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコックは、悪さをしたお仕置きとして、出来レースで親と警察署長が相談し、警察の留置場に実際に入れられた経験があり、それ以後、警察嫌いになった。

情報量が決定的に乏しい時代の少年には強烈なインパクトを与えたエピソードだった。

その体験が、後に映画監督として、実際の作品にどのように表現されていったのか。

フェリーニは、その原体験から、道化師という職業がどのような流れを辿ってきたかを調べたくなる。

そしてローマから、サーカスに最も影響を与えたといわれるパリまで出向くが、そこでも往年の賑わいはなかった。

更に、次々と系譜や人間を探し続けるという内容。

エンタティナーたちが、よく口にする『ショウ・マスト・ゴーオン』をまさしく体現している職業。

しかも「笑わせる」ということに特化した職業でもある。

往年の人気者であった実際の道化師が、現在、老いぼれても、尚、奮闘する。

しかし、体力は当時のものではないので、息も絶え絶えになる姿など、『おもろうて、やがて悲しき』な姿を冷静に、しかも残酷なほど冷徹に映しだしていく。まるで、自分の原体験への復讐であるかのように。

しかし、そこに、間違いなくフェリーニの彼らへの畏敬の念が滲み、大好きで堪らないという感情が溢れる。ただし、時代の趨勢で、もはや羨望のまなざしでは見られなくなっている実情まで際立たせていく。

インタビューで過去の栄光や苦悩を聞きだした後に、今の状態で盛大に往年の姿で頑張ろうとする道化師たちの生きざまに、涙を禁じ得なかった。

社会的弱者である身体障碍者らが受けてきた被差別。しかし、得意気に、サーカスこそが自分たちが自信を持って生きられる居場所であったということまで描かれ、こちらの心をえぐってくる。

それらを含めて、観客を体を張って笑わせようとする道化師たち。

元々はテレビ用に撮影されたドキュメンタリーだったが、その見事さに劇場公開に至った作品でもある。

子供時代には夢のような世界だったものが、どのような人間たちによって支えられてきたかと愕然ともさせられる秀作。

余談雑談 2019年6月1日
久々に驚いた。先立ての日曜日の昼前。自販機の補充後、さて、ラーメンとビールでもと思い、今や映画館が一軒もない、旧興行街を歩いた。 そこは激安の殿堂やら、全国の物産館、更に場外馬券場もあり、人出はかなりある。 そこにストリップ劇場があり、開場