余談雑談 2019年6月15日

成程ね、と思った。店番生活が長く、徒歩で通っていた酒場も次々と閉店して、以前よりも歩かなくなっていた。

更に、歳の所為で体力も落ち、少し歩くと疲れるように。そう感じてた矢先、歩いていたらどうみても不健康そうな若い女性に追い抜かれた。

正直、ショックだった。歩く速度が低下していたのだ。そこで、知り合いの整体師に相談してみた。その方は、歩幅と腕振りの問題と。

ならばと歩き方を見て貰ったら頷きながら、やっぱりな、と。手の振り方が小さすぎる。「手を振っている」と思いながら、意識は前だけに行っているだろう。だから前には振れていても、後には半分も振れてないよ。後ろに腕を振ることを意識して。

自分では腕を振っていたつもりが、事実、教わった通りにしてみると歩幅まで増大した。

成程、身体は連動しているのか。以後、意識して歩いたが、今度は脚の付け根と「ふくらはぎ」が痛い。

電話で尋いてみると、当然と。使用していなかった筋肉を使えば痛くなるのは自然の理。少し我慢して続けろとの返答。

『四十肩』と同じで筋肉が委縮し痛いからと動かさなくなると、更に腕が上がらなくなる。それが『五十肩』だと。

本当かよと思ったが、どこかで納得していた。何故なら筋肉の劣化を歴然と感じていたから。運動不足から少し歩くと脚が痛くなるから、痛くないように歩幅が小さくなっていたのか。

でも、これって防衛本能じゃないのかねと邪念が過る。まあ、意識して散歩してみるか。「大手を振って歩く」方が良いことだと信じて。

まさか、どこぞの国の軍事パレード的行進と勘違いはされまい。印象がコワモテの自分だし、大手を振っていたら、「十戒」のモーゼじゃないが、人波が割れて真っ直ぐ道を歩けたりしてな。

おっと、それはそれで楽しいか。なんて考えるから「手を焼く性格」とか言われるのかな。

まあ、「手のつけられない」性格よりマシだろうが。いやいや、「手の施しようがない」だったら人生も終わりだな。

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