スタッフ
監督:ヘンリー・コーネリアス
原作:クリストファー・イシャーウッド
脚本:ジョン・コリアー
撮影:ガイ・グリーン
音楽:マルコム・アーノルド
キャスト
イシャーウッド / ローレンス・ハ─ヴェイ
サリー / ジュリー・ハリス
ランダウアー / アントン・ディフング
クライヴ / ロン・ランデル
ナタリア / シェリー・ウィンタース
シュナイダー婦人 / リア・セデル
ピエール / ジェーン・ガーゴット
レイランド / スタンリー・マックステッド
医者 / フレデリック・ワルク
日本公開: 1957年
製作国: イギリス ロムラス作品
配給: 東和
あらすじとコメント
前回扱った「キャバレー」(1972)の元ネタを紹介する。第二次大戦の足音が忍び寄るベルリンで繰り広げられる群像劇。
ドイツ、ベルリン1931年の大晦日。イギリス人作家イシャーウッド(ローレンス・ハーヴェィ)が滞在していたが、新作の執筆が上手く進まず焦燥感に苛まれていた。
そんな折、現地の友人ランダウアー(アントン・ディフリング)から籠絡したい女がいるから付き合えとクラブに誘われた。そこにいたのはイギリスの歌姫サリー(ジュリー・ハリス)。
ところがサリーは、彼の心など全く気にせず、許婚者とパリに行くと平然と言い放つ。直後、やって来た許婚者は彼女を平手打ちし、金を取り上げると外へでて行った。泣き崩れるサリーだが、振られたランダウアーは素知らぬ顔だ。だが、イシャーウッドは放っておけずに声を掛けた。
一文無しの上、部屋も引き払ったので行くあてもないというサリーに、下心もなく親切心から、自分の部屋に来ないかと・・・
奔放な女性に振り回される人間らを描く青春群像劇。
異国の地で自分の才能に行き詰まりを感じる青年。
そんな彼の部屋に転がり込んで、身勝手に振る舞う天真爛漫な同国人の若き女性。
その二人に自称プレイボーイの男、成金の男、金持ちユダヤ娘が絡んで、ナチスの足音が忍び寄るベルリンで、それぞれの思惑や悩みを抱えながら生きていく内容。
場当たりで享楽主義者のヒロイン。悪気はないが思い付きや、当たって砕けろ的人生を平然と歩もうとする。
小説家の青年が翻弄されるのは当然である。だが、彼もどこか優柔不断であり、それでいて優しい。
異国で英語を教えて小遣い稼ぎをしようとする青年はつつましく合理的に生きて行こうとしている。ただし、そんな性格では面白い小説など書けないだろうなとも思わせるのだが。
原題である『私はカメラ』は、彼が事象を写真のように頭に焼き付け客観的に理解しようとする意味であり、それじゃ、小説家ではなく写真家や映画屋の方が向いていそうだ。
逆に、ヒロインは貧乏だからと平然と金持ちに取り入ったり、デカダンスな生活を享受しようとする。
そんな二人だから、時代を考えれば、ドラマティックな化学反応は起きなるはずもない。どう考えても映画として佳作に昇華しないだろうなと思わせるし、果たして、その通りになっていく。
ただ、当時としては斬新なヒロイン像であり、現在は普通になった女性の自己主張の先駆者的キャラクターではある。
それにナチスがドイツを席巻していく時代背景では、当然、ユダヤ人の存在が、カギにもなっていく。
ヒロイン役ジュリー・ハリスは、前年「エデンの東」(1954)でジェームス・ディーンの相手役として有名になったが、本作では全く別なキャラクターを演じて興味深い。
以後の彼女の作品群を考えると本作が彼女の代表作と位置付けられようか。
それに、ご贔屓の脇役専門俳優で、あまたの戦争映画でナチス将校役を演じてきたアントン・ディフリングが、ほぼ出ずっぱりなのが印象に残った。しかも敵の悪役ではなく自称プレイボーイという設定には笑ってしまったが。
できればリメイクである「キャバレー」と見比べると、両作の制作された時代と監督の個性の違いが愉しめようか。