モダン・タイムス – MODERN TIMES(1936年)

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スタッフ
監督:チャールス・チャップリン
製作:チャールス・チャップリン
脚本:チャールス・チャップリン
撮影:ロリー・トサロー、アイラ・モーガン
音楽:チャールス・チャップリン

キャスト
工員 / チャールス・チャップリン
不良少女 / ポーレット・ゴダード
ビッグ・ビル / スタンレー・サンドフォード
キャバレーの主人 / ヘンリー・バーグマン
製鉄会社社長 / アラン・ガルシア
工場の技師 / チェスター・コングリン
強盗 / ルイ・ナトー
タービン交換手 / サミー・スタイン
少女の父親 / スタンリー・ブリストーン

日本公開: 1938年
製作国: アメリカ C・チャップリン・プロ作品
配給: ユナイト


あらすじとコメント

「オール・ザット・ジャズ」(1979)は、当時のミュージカルとしてはショックを受けた異色作。今回は時代を遡り、ミュージカルではないが、『ダンス』と『歌』が非常に印象的で、昔のシネマディクトが衝撃を受けた作品。

アメリカ、カリフォルニア産業革命以後の急速な近代化で、巨大工場が出現し、搾取側社長は、最先端の技術を取り入れ、更なる合理化を推し進めていた。

そんな工場でナット締の工員としてチャーリー(チャールス・チャップリン)が勤務していた。ところが根っからの傍若無人というか、空気が読めぬ性格ゆえ失敗の連続であった。それでも効率化を加速させる社長。

やがて自律神経失調症になった彼は、セクハラ行動にでて逮捕されてしまう。

一方、母親に死なれ泥棒をしても小さな妹たちを喰わせようとする「悪戯っ子」(ポーレット・ゴダード)がいた。生きるためには逞しく、犯罪さえ厭わない少女だ。

ところが不況下の暴動で父親が死んでしまう。当然、当局は彼女らを保護し施設に収容しようとする。

だが、あくまでも大人たちの勝手な施行と感じた彼女は・・・

「人間らしく生きる」ことが時代の流れで否定されることに警鐘を鳴らす作品。

「おっちょこちょい」だが、『憐憫』と『自己犠牲』を持つ主人公。

そんな彼が次から次へと騒動を起こし、やがて逃走中の少女と知り合い、お互いに将来の夢を見るようになる。

サイレント時代からの喜劇王であり、時代の流れに疑問符、否や、嫌悪感を持っていたであろうチャップリン。

本作の冒頭に、それが明確に映しだされる。「人間の機械化に反対し、個人の幸福を求める物語」と。

産業が進むと搾取さる側とされる側が明確になり、更に恐慌による下々の人間たちがどのようになって行くかをコメディとして描く。

しかも制作された時代は既にサイレントは無くなり、発声映画が当たり前で、カラーにもなっていた時代。

それに真向反対し『パントマイム』を含むドタバタ・コメディを発表し続けてきた。

確かに映画はサイレントから始まり、俳優たちが本当に命懸けで演じていた。それを一切、ブレずに押し通した。

だから当時のオールドファンは、その姿勢を評価し狂喜していたのだ。TV映画解説者として有名だった淀川長治は、その最たる人物だろう。

そんなチャップリンが、本作で初めて『発声』するというので当時は大変話題になったらしい。どんな声で何を言うのか。

その点、チャップリンは見事。映画は、映像で理解させる世界共通言語でもあった。だから英語でなく、どこにもない言語でテキトーに歌う。しかし、それに動作が加わるので意味は理解できる。

成程と唸った。その前段として、サイレント特有の会話は映像の後に字幕で説明というスタイルは踏襲されるが、『近代化』の象徴として、工場を監視カメラで見ている社長の指示は発声。そしてラジオから流れる音声も発声。

成程、チャップリンが発声する前に、観客にそれまでとは違う作劇と理解させているのだ。

その上、ローラー・スケートで冷や冷やするダンスを披露する。これは映画史上に残る名場面でもある。

ただし、おかしいというよりも「危なさ」を喚起させる名場面だ。

そのシーンですら、体制批判を想起させるから見事。ただし、内容自体は下層階級賛美であり、それが過度とも感じるのは、『すべてを映像で理解させる』というスタンスの成せる技かもしれない。

今見ると数々のハラスメントや犯罪行為が描かれており、それこそ時代性を感じざるを得ないのも事実。

それでも、やはり映画史上に残る作品であることに間違いはない。

余談雑談 2019年10月12日
こんなこと、本当にあるんだ。突然、懐かしい方から連絡がきて驚いた。 会社経営時代だから、もう四半世紀も前だが、生意気にも『銀座』で飲んでいた時期がある。間違いなく、それが会社清算への加速度の原因だったと後悔もしているが。 バブル景気の前で、