余談雑談 2019年10月26日

何とも偶然。上で扱う作品は随分と前から順番を決めていて、今回もかなり以前から決まっていた。

約三週間前、上の映画紹介でも書いたイラストレーターの和田誠が亡くなった。ファンだっただけに、奇妙な縁を感じた。

40年以上も前の連載だが、キネマ旬報で「お楽しみはこれからだ」を氏のイラスト付きで映画の名セリフを紹介していた。

影響を受けた映画ファンも数多く、自分もその一人。イラストは書けぬが、映画で印象に残った台詞は個人的に書き留めておいたのも氏の影響。

真打となった現在も決して噺は上手くないと感じる某有名落語家が、かつて飲み友だちだった頃。同じく氏のファンであり、映画とスイング・ジャズのファンという共通の趣味があり、良く映画話をツマミにしながら飲んだ。

そんな時期、 落語家の知人に放送作家がいて、沢田研二のラジオ番組内で、和田誠人気の影響か、映画の名セリフを紹介するコーナーの担当だった。

ところが、全部を「お楽しみはこれからだ」だけで放送できるはずもなく、困っているから、自分のストックを提供して欲しいと噺家から依頼が来た。

考えれば、それが一番最初の映画関連でのギャラ発生だった。30本ぐらいのストックを渡し、何度かラジオ放送を聞いた。

素人の自分の書き留めたものがジュリーの生声で聞こえて来たときは不思議な感覚に陥った記憶がある。

それも和田誠の影響である。脚本家で映画監督でもある三谷幸喜も氏の大ファンであるのは有名な話で、共著もある。

それほど多くの人間に影響を与えた人だった。これはまた別な話だが、著名な洋画のオリジナルポスターのコレクターが超貴重なストックを200万円で手放すことになったが、美術館でも躊躇した時に、購入したのが氏であったとか。

これまた別な話だが、漫画家赤塚不二夫が、やはりかなりの映画ファンで、とある深夜、友人と飲んでいて映画の話になり、どうしてもタイトルを思い出せなくて、和田誠に電話して尋いたら、即座に答えて驚いたと。

しばらくして、また映画のタイトルが思い出せなくて再度電話をしたら即座に出て、どうせ、また電話が来るだろうと電話の前で待っていた、と。

氏の映画ファン度が解る微笑ましいエピソードとして未だに記憶に残っている。

評論家と違い、あくまで真の映画ファンとして憧れた。

遅ればせながら、ここで心底よりお悔やみ申し上げたい。

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