余談雑談 2019年11月23日

神田神保町。月に一度、程近い水道橋に出向く。なのでランチはその周辺と決めて久しい。

その際には、行列嫌いの自分が、唯一、開店前に並ぶ安い天ぷら屋に行くことが圧倒的であった。

そこは『暖簾分け』システムの同じ屋号で、何店も「天ぷら」と「とんかつ」の店があった。しかも暖簾分けは、従業員同士で結婚し、千代田区内で開店という暗黙のルールもあったと聞く。

しかし、現在は、青森と栃木以外で、都内では天ぷらととんかつが一軒づつ。多い時は10軒以上もあり、独立した仲間の会まであった。同じ系列ながら、個性が微妙に違い、各店を巡るのも楽しかった。

何せ中学時代から大学卒業まで通った場所。社会人になり、長らく足が遠退いたが、スタンド廃業後、フリー仕事の資料集めなどで足が向くようになった。

行き出した当時は、先の暖簾分けの店も5店舗ぐらいあり、学生向けの安い定食屋も散見し懐かしさがこみ上げた。

昔から残る店は、無骨な味ながらも真面目な印象の店ばかりで、ランチ天国の場所であった。

しかし、随分と変わった。開店前の天ぷら屋の行列にしても、いかにもネット情報で来ましたが、恐らく一生に一度の来店てな風情の訳知り顔の壮年が並ぶように。

ただ並ぶのがヒマと見えてスマホで、看板や入口などを撮影し、平然と列に戻る。店内の注文も初見のくせに知ったかぶり的オーダー。

その手の人間が目立つようになり、別な店も探し始めた。

ところが金のない学生向けの、味は兎に角、安くてボリュームがある店は絶滅していた。

変わりに出来ているのは「カレー」と「ラーメン」。いい加減に目を覚ませと泣きなくなる。

それでも、それら以外で個人的に「賭け」で入った店が数店ある。絶望的に、自分の口には合わなくて、これまた泣きたくなった。

神保町に限らず、昔は値段とボリューム勝負の店は、東京のあちらこちらに数多くあった。

学生を含め誰もが貧乏だったし、店側も戦中、戦後の食糧難の時代を知っていて、何とか腹いっぱい食わせてやりたい、そして、日本の復興と将来を頼むぞ的な雰囲気がしっかりと流れていた。

ただ、昨今の店はヘンな所だけ踏襲し、値段も高い。まあ、加齢と貧乏で自分の味覚が劣化したのかもしれぬが。

大衆の好きな味覚だって時代と共に変化するのだろう。じゃなきゃ、何系とか付くカレーとラーメンばかりにゃならないだろうがよ。

古書店も減り、安くて量があるが、味は不味いランチ店も減る神保町。そもそも多くの学校が移転してるし、若い人口だって減少傾向だもんな。

何だか、選択肢は拡がったようで、狭まってると感じる。だってカレーとラーメンってそんなに好きじゃないし。

その手の店に行列してる人間を見ると、友人知人にはなりたくない雰囲気ばかりなんだよな。

でもな、逆に安い天ぷら屋でスマホや文庫本を開くでもなく、じっと動かずに背筋を伸ばして立っている自分の方が、余程他人から気味悪がられるよな。

でもね、それワザとです。だから簡単に声など掛けてくるなアピールですから。

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