煙草屋を廃業して5ヶ月。週に一、二度は独居の母のご機嫌伺いを兼ね、昼食を食べに行く。
周囲からは急にヒマになると危ないと脅されていたが、今のところ、急激にボケが始まるでもなくの状態。
80も半ばになるのだが、人生100歳時代もうわさではないのかもと感じる。
ただ、以前と少し変わったこともある。母親に何が起きるか不安で、常に携帯を持ち歩くように。寝る時は枕元に置くし、風呂から出ると、先ずは着信チェックをする。
ある意味、これが中毒かと。別に何があるわけではないが、手元にないと不安。それでも、スマホではないので、着信チェックのみでゲームや、役立ち情報を調べたりはしない。
まあ、便りがないのは元気な証拠とも言うし。成程、着信なければ元気ね。実家も徒歩10分の距離だし、自室にいれば掛け付けられる。
逆に昔など、便りが来るのは手紙かはがき。時間がかかった。
で、急ぐ時は電報だったよな。ただし「ハハキトクスグカエレ」てな印象も強い。
となると現代の利便性が勝る。間に合うという点で。でも、電報ってどういう状況か。結婚式か葬式にしか利用はないのだろうか。
確か文字数で幾らという計算だったか。まるで、フリー・ライターへの文章依頼と同じ形式だ。
最後にそのスタイルで受けた執筆依頼は一文字10円だったが、今は少しは値上げされたのか。それとも、自分の能力のなさゆえの代金設定だったのか。
一文字幾らなら、なるべく長い文を考えれば儲かる、てなことないかも、あるかもしれない何ぞと発想するのは素人。
というよりも、小中学生時代に原稿用紙3枚の作文に悪戦苦闘した延長で、プロ意識がないわなと間違いなく次の仕事は来ない。
自分も注意したつもりだったが、まったく執筆依頼が来ないのは何故だろう。不思議だと思う時点で、何か違うのだろうけど。
ついでに考えると、映画なりドラマの設定で随分と使えなくなったものも多いよな。
電報だってそうだ。間に合う、間に合わないで悲喜劇が描かれてきたし、公衆電話のダイヤル式でのトリックなど、若者にはまったく理解できない設定だろうな。
でも、便利を欲するのも悪くない。何かあれば携帯で連絡。一文字幾らでもないし、近くにいればすぐに掛け付けられる利便性。
昔は良かったばかり言うこともないか。まあ、スマホでなく折り畳み携帯で充分便利、てな状況で止まってるけどね。