スタッフ
監督:J・リー・トンプソン
製作:W・A・ウィテカー
脚本:T・J・モリスン
撮影:ギルバート・テイラー
音楽:レイトン・ルーカス
キャスト
アンスン大尉 / ジョン・ミルズ
ダイアナ / シルヴィア・シムズ
デル・ポエル大尉 / アンソニー・クェイル
ピュー特務曹長 / ハリー・アンドリュース
ドニーズ / ダイアン・クレア
クロスビー大尉 / リチャード・リーチ
准将 / リーアム・レッドモンド
連絡将校 / アラン・キュースパートソン
ドイツ軍将校 / ウォルター・ゴテル
日本公開: 1959年
製作国: イギリス アソシエイテッド・ブリテッシュ作品
配給: 東和
あらすじとコメント
どの町にも映画館があり、テレビでは毎夜ゴールデン枠で映画が放映されていたころ。そんなころに見た、忘れ去られるには惜しい映画を綴っていきたい。
新作映画やカルト的なマイナー映画を紹介してくれるメルマガが隆盛。確かに、これから見ようとする映画の貴重な情報や目先の変わった作品を知るには重宝。でも、昔の普通の映画はほとんど語られることがなくなったと感じるのは僕だけだろうか。それとも、何てことない旧作などに時間を割くよりも、昨今の見逃した映画を追いかけるほうが現実的だし、楽しいのだろうか。
劇場でもテレビでも白黒映画が全盛だったころ。当然、ビデオなどもなく、この上映や放送を見逃したら、一生見直すことができないなと切迫感を持っていたころ・・・
街中に貼ってあった人工着色のポスターに胸躍らせ、総天然色や70ミリと書いてあれば、それだけで心ときめいた。白黒画面から見えない色を想像し、テレビの吹替えのぴったり感になじんできた。
時々、集めてきたパンフレットやプレス・シートをながめては、しばし感傷にひたることもある。むかし見た映画でも、最近はビデオで再見できるものも多い。また、違った驚きもあるし、今、見直すと何てことないと感じたりする。映画とは、見たときの年齢や、おかれていた状況で印象が変わると思う。
当然、人によって好き嫌いがわかれるとも思う。分け隔てなく映画を見てきたつもりだが、どうしても好きな映画や監督は偏ったりする。それでも最近語られることの少なくなった映画を、記憶が単なる思い出に変わる前に綴っていきたい。
第一回目は、個人的に大好きな映画から扱ってみたい。いきなり白黒スタンダード画面の、けっして派手ではない戦争映画。
第2次大戦下の北アフリカ戦線。地中海に面したリビアにある港町トブルク。そこではイギリス軍とドイツ軍の一進一退の攻防がつづいていた。(この闘いは有名で、後に「トブルク戦線」(1966)や「ロンメル軍団を叩け」(1970) などで映画化されている)
英衛生隊のアンスン大尉(ジョン・ミルズ)は休むまもなく、連日の負傷兵搬送で疲労困憊。彼の逃げみちは酒だけだった。ある日、ロンメル将軍率いるドイツ軍の精鋭部隊がいっせいに反撃してくる。英軍は隣国エジプトにある港町アレキサンドリアまで撤退を決定する。そんな状況下、トブルクからの撤退船に乗りおくれたダイアナ(シルヴィア・シムス)とドニーズ(ダイアン・クレア)の女性看護兵二名を赤十字マーク入りのトラックでアレキサンドリアまで護送せよとの命令が大尉にくだる。
助手にピュー特務曹長(ハリー・アンドリュース)がつき、四名で出発となる。トブルクからアレキサンドリアへは幹線道路が一本、地中海にそって通っているので楽な任務だと思うアンスン。だが、ドイツ軍の侵攻を遅らせるため、唯一の橋が味方により、彼らの面前で爆破されてしまう。これで一行はおおきく迂回して砂漠を走破しなくてはいけなくなった。その上、敵の爆撃ですべての酒をなくしたアンスンは一気に落ち込んでしまう。
途中、燃料補給のため、砂漠の無人スタンドに立ちよると味方である南アフリカ軍大尉のデル・ポエル(アンソニー・クェイル)がひとり、部隊からはぐれたと待っていた。筋骨隆々で陽気な白人系のデル・ポエルはアレキサンドリアまで同行したいと申しでる。だが、どこか謎めいている彼の雰囲気に一抹の不安を感じる一行。しかし、アンスンは彼の荷物に酒があるのを発見し、同行を許してしまう…
イギリス映画の王道をいく、一難去ってまた一難がつづく冒険活劇映画。
こういった作風は「007は殺しの番号」(1962)、「007危機一発」(1963)あたりまで、良い意味でつづいていたと思う。
この映画は、地雷原の突破、ドイツ軍による攻撃、アリ地獄のような流砂などの、度重なる困難を乗り越えつつ、どこまでもつづく砂漠を越えて、いかに目的地まで行くかというオハナシ。
主人公の大尉はヒーローではなく、すぐ酒に逃げて落ち込むし、ドイツ軍を見つけてパニック状態になり、無謀な行為にでたりと頼りない人物。それに引きかえ、デル・ポエルの実に頼りがいがあること。
だが、デル・ポエルはドイツ軍のスパイかもしれないというサスペンスがつく。当然、皆は打ち解けない。それでも、彼がいないと乗り切れない事実。
炎天下の地雷原で、埋められた地雷に細心の注意を払いながらトラックを先導する主人公の靴と、顔から滴り落ちる汗が交互にアップで映しだされる。
部品交換のシーンでは、車体を上げるジャッキがなく、大小の岩を積み上げた下で、デル・ポエルが作業していると、岩が重みに耐えかねて徐々に崩れだす。
大げさに観客にショックを与えるような技法ではなく、静かなサスペンスの積み重ね。どこかヒッチコックの影響を感じつつ、独自性をだすトンプソン監督の演出が底光りする。
こんなシーンが続出するから、見ているほうはハラハラのし通し。それでもって、ついに命の綱の水が底をつく。
原題は「ICE COLD IN ALEX」。アレックス(アレキサンドリア)で氷のように冷えた一杯を、である。タイトルだけでは、一体何だろうと思う。これは、度重なるトラブルで落ち込んだ一行が、目的地に着いたら一目散でホテルのバーへ行き、氷のように冷えたグラスにビールを注がせて飲み干すことのみを希望にして、一致団結していくことを意味している。
「綺麗に磨かれたバー・カウンターの上に、冷やされたグラスが置かれる。すぐにまわりの暑さで水滴がつくだろ。そこに冷えたビールが注がれる。黄金色に輝くビールの中をゆっくりと泡が上昇して、クリームのような泡に吸い込まれていく。ダメだ、まだ飲むなよ。グラスについている水滴を指で、スーッとひと筋なでるんだ。そこで一回深呼吸をして、グイっと一気に飲み干すんだ」
見ている側も、一行に感情移入しているから、このシーンは喉が鳴る。白黒画面ながら、暑さを痛感させられる炎天下の砂漠でこの会話をされるから、つい一緒に想像してしまう。
個人的には、これほどビールを美味そうに描いた作品は類をみないと思っている。生ぬるい水やウィスキーでは意味がない。普通、この手の映画では泥水でもウマそうに見えるが、キンキンに冷えたビールである。
その設定の妙。確かに、アルコールのダメな人は冷えたコーラあたりかもしれないが、これはアメリカ映画にあらず。当時の王道を行くイギリス映画なのだ。
当時では、アン・ハッピ-エンドはありえないから、数々のトラブルを克服し、ラストは、まっしぐらにバー・カウンターにいく。想像していた通りのビールが一行の前に並ぶ。そのビールの美味そうなことといったら!こちらも彼らに乾杯!と言いたくなる。
30年以上前まではテレビで散々放映されていた。当然、吹替カット版。オリジナル日本公開版を最後に僕が見たのは東京・京橋の国立近代美術館フィルムセンターだった。
上映後、近くの酒屋に駆け込んで缶ビールを飲んだ人が数人。それほど、観客の喉を渇かせて秀逸。
もし、この映画をみる機会があったら、絶対に飲食しながら見ないことをオススメする。見終わった後に飲めば、間違いなく発泡酒でもビールの味がするだろうから。
このイギリス映画、アメリカでも公開されたが、タイトルが「DesartAttack」に変更され、上映時間85分(一部79分説もある)。日本公開版は120分。そしてオリジナル版は132分。
一体、どこがどう違うのだろうか。がらりと印象が変わるかもしれない。その上、昨今流行のディレクターズ・カット版でも存在したら、また違う印象を受けるかも。
大好きな映画だけに、全部まとめて見たいものだ。