梅雨の走りのような東京。何とはなく自粛ムードも緩和と持続が両立している気がする。
することもないし、天気の良い日は、ランチのために散歩を兼ね、少し遠くの店を目指す。大体が地元を離れ、橋を渡って、隣町の最長電波塔近くの店まで行きもする。
二軒あり、双方とも小さな店で家族経営。自粛中も細々と開いてたのは地元住人や零細企業で働く人向けだからか。
川向うの人のいない下町は、橋を渡るときに妙に永井荷風になった気分で、小旅行的愉悦だ。世界規模で空気が綺麗だからか日差しも強く感じたりする。
その習慣化の中で、すっかりご無沙汰だったラジオを聞き始めた。
何のことはない随分と軽量化されて、沖縄旅行の時に持参する程度の使用頻度であったウォークマンに付いていたからである。
昔は「エアチェック」てな言い方をして好きな曲だけを集め個人編集したものだ。自分も随分と作り、人に配ったりもした。まあ、今は著作権協会がうるさいかもしれぬが。
昔はラジオ録音や友人からのテープ・ダビングが主流。そのうちCDが出回るようになってからは、数枚購買して作るのが当たり前になった。ところが、今やCDも買わずにダウンロードらしい。
価値観の古い自分は、やはり輸入盤レコードじゃないが、当たり外れを賭けて品物を購入し、コレクションしたいので、現物が欲しい。そこからダビング編集。
しかし、今やCDショップもなく、試聴して新発見もなく、何十年と同じエアチェック編集版をコピペして聞くだけ。流石に飽きた。
話が長くなったが、戻そう。そこでラジオを散歩中に聞くことが増えた。
考えてみれば、携帯ラジオなどとっくになく、東日本大震災のときだって不自由したが、結局、買わなかったもんな。
そもそもラジオの必要性すらすっかり忘れてたが、何の価値観の変化か、興味が湧いた。独特の試聴感とクリアな音質に流暢な英語を話すDJ。
ロビンソン・クルーソーか、はたまた浦島太郎か。いや驚いたのは、AM放送さえ一部FM放送になっていた。
イメージとしては、モノラルとステレオ放送の違いだった。それが双方向である。不思議だ。
それに「ラジオ関東」とかはまだ放送しているのだろうか。逆にウォークマンではFMしか聞けないし、新聞も購読していないから分からない。でも、そこで随分とジャズの勉強をした。しかし、思い出は思い出のまま終焉する。
CDが買えないし、試聴もできない。ラジオで聞いた曲が欲しいとダウンロードてか。
やなり、アナログは死んだのか。