スタッフ
監督:フランソワ・オゾン
製作:オリヴィエ・デルボス、マルク・ミソニエ
脚本:F・オゾン、E・ベルンエイム、M・ドゥ・ヴァン 他
撮影:アントワーヌ・エヴェルレ
音楽:フィリップ・ロンビ
キャスト
マリー / シャーロット・ランプリング
ジャン / ブリュノ・クレメール
ヴァンサン / ジャック・ノロ
アマンダ / アレクサンドラ・スチュワルト
ジェラール / ピエール・ヴェルニエ
スザンヌ / アンドレ・タンジー
ライフガード責任者 / ダミアン・アブー
若いライフガード / ダヴィッド・ポルトギュー
パリの医師 / ジャン・フランソワ・ラプラス
日本公開: 2002年
製作国: フランス フィデリテ・プロ作品
配給: ユーロスペース
あらすじとコメント
シャーロット・ランプリングという女優。絶世の美女ではないが見事なる『女優』だと感じる。そんな彼女の魅力が炸裂する大人のドラマ。
南フランス、ランドマリー(シャーロット・ランプリング)とジャン(ブリュノ・クレメール)は結婚25周年を迎えた夫婦である。子供はいないが、幸せで慎ましい生活を送っている。
いつもはパリに住んでいるが、夏のバカンスで南フランスの別荘に来た。そこでも二人きりながら、静かな幸せを噛みしめるマリー。
翌日、海に出向く二人。ところが、突然ジャンが海で行方不明になってしまう。俄かには信じがたいマリー。警察に届けると、自殺などを疑われるが、何ら思い当たるフシはないで困惑する彼女であった。
死体も上がらず、そのまま別荘に居残って独りで過ごす彼女だが、秋の新学期が始まり、大学の授業への復帰を余儀なくされて・・・
夫の行方不明後、妻に起きる心や肉体の葛藤を描く作品。
夫の失踪を受け入れられない妻。親友は精神分析医を紹介しようとしたり、彼女を慰めようと甲斐甲斐しく接してくれる。
そこに出版社経営の中年伊達男が彼女に好意を持ちアタックし始めるという展開。
さして目新しい展開や意表を突くショットは登場しない。あくまでヒロインが幻影を追い続けているだけ。本当にそれだけの映画である。
パリに帰郷後も亭主が登場し、普通にヒロインと会話する。ただしそれは、あくまで彼女のイメージの中の出来事なのだが、その時と、ふと一人に戻ったときに見せる表情がまったくの別人で、鳥肌が立った。
親友の他にも、好意を寄せるインテリ男、医師や、ライフセーバー見習の学生など、周囲の人間たちは皆が善人で、彼女のことを知らない者ですら、敵対的行為を取る人間は登場してこない。
だが、ヒロインには、そうは映らないという恐怖が浮かぶ構成。全ての、あくまで普通である他人の言動が、彼女には疎外感と無理解を暗示させるのだ。
徐々に、彼女も現実を受け入れなければという観念的なものも浮かびはするが、直後に、ふと表情が変わる。
完全に病んでいるというか、狂気の世界に入り込んでいるが、ふと正気に戻り、全否定する己もいるという、極端な二面性を持つ人間の脆弱性が際立つ。
主演のシャーロット・ランプリングの独り舞台だ。終盤では亭主の母親が登場してきて、嫁姑互いの女の性の恐怖を描いたり、新しい男との最初の情事の最中に突然笑いだし、巨漢だっと夫との体重を比べたのか、はたまた、別な意味からか「アンタ軽いわ」と言い放つ不気味さ。
夫と新しい男との自宅での食事シーンを全く同じカット割りで見せたり、振る舞う料理も同じスパゲティという繰り返しの怖さ。
空気の流れが見えるようなカメラ・ワークが、彼女の心の中を浮き彫りにしていく。
不安定さと孤独感、そして切ないまでの虚無感。さり気ないお洒落にも年輪を感じさせる大人の色気。
ただし、それがかなりの恐怖感を喚起させもする。若い観客には支持されないかもしれないが、いかにもフランス映画っぽい、大人を対象に作られた作品。
常に寒気が走るほど見事なランプリングの演技に魅了された。