まったくギプスも取れずにイライラが募る今年の夏。
身から出た錆でもあるし、好き勝手ばかりを前倒しにして、大した我慢もせず生きてきた因果応報かもしれないが。
それに急激な気温上昇で出歩く気も失せている。でも、デリヴァリーと称する今風な出前系が大嫌いな自分は、嫌でも外に出向いて食べに行く。
考えれば、旅行中の駅弁よりどこか食堂で食べたいタイプ。何だか、冷たい食事は悲しくなる気がするから。
それに駅弁以上に、作り手の見えぬコンビニ弁当は、例え温めて貰えても出来た当初からパスだった。ビジネス最優先が感じられたからだ。
やはり、一々細かく考える面倒くさいタイプに見える人もいるんだろうな。
そんな中、お気に入りの食堂が一軒、暫く前から閉まりっ放しで、遂に閉店かと心配になっている。
今日こそはと出向いて行き、やっぱりやってないと消沈。なので、近頃はわざわざ最長電波塔近くにある二軒の食堂まで 出向くのがメインになりつつある。
最近、川にかかる私鉄の鉄橋横に遊歩道ができ、この炎天下でも歩いて渡る人を見かけるようになった。
本来、自室のあるビルからそこを歩いて食堂に向かうのが最短ベストな選択肢だが流石に、この状態で徒歩は無理なのでバスや電車で向かう。
その片方は、老夫婦だけで営む店。初めて行ったときにロースかつを食べて、脂身が旨いと感動した。
無口な職人気質のご主人と接客担当でお喋り好きの夫婦二人の応対と立ち振る舞いに、はるか昔、浅草にあった洋食の名店「峰」を思い出させるのも好印象だ。
思い起こせば「峰」は心底、これぞ下町の昔から普通にある名店の風情だった。現在でも、行列が絶えない『旨すぎて申し訳ありません』と謳う洋食の超有名店の真隣にあった。
6人が座れるカウンターにかなり狭いテーブル席が一つ。客は地元の人間か、常連関係者のみ。
今ほどSNSやネット情報が氾濫してない時期でも、最後は行列がたまにできるようになり、隣で並ぶ観光客たちが不思議そうに見ていて恐怖だった。
なので最後は折角行っても、行列を見て即座にあきらめることも多かった。それほど密かにしておきたかった店だ。
近隣の常連誰もが「峰」で行列して、それを見て並ぶ人間は入れるなが合言葉になったほど、昭和の価値観の常連に愛された名店。
結局、『お人好し』とか『人情味溢れる』という下町風情でなく、どうにも閉鎖的村意識が強かったとも思う地元。
尤も、老夫婦は常連の考えなど関係なく誰にでも普通に接した。その値段と接客に魅了され常連化する人間が多かった。それも昭和だろうか。
好例がビートたけしの話。売れない時期にストリップ劇場のエレベーターボーイをしていて、そこに通っていた。
漫才ブームが起き、一挙に売れたたけしを、本当に売れて良かったね、と冷蔵庫上に置いてあった小さなテレビを見ながら、涙ぐんで語った女将さん。白いコック服を着た無口なご主人も好々爺の如く頷いてた。
その場に居合わせた若僧だった自分も妙に感動した思い出がある。どこぞのくじらやの主人と違い、上から目線でなく、心底、普通に言っていたから。
何せ、その店で売れない芸人や後にヤクザの親分になるような人で頭が上がる人はいないよ、と古い常連から断言されていた。
これが日本人の心意気だろう、しかも当たり前の。
高温からゲリラ豪雨が続き、嵐の後に虹がかかるのも通例になった東京。少しも涼しくならずに水の腐った匂いでむせ返る夕方。
雷鳴時は雨の轟音のみだが、天気が回復すると一斉に鳴くセミ。
どこにも行けぬ夏。例え歩けたにしても、自粛せよの号令下のお盆休み。
これが当たり前になるのは勘弁だよな。