殺(や)られる – DES FEMMES DISPARAISSENT(1959年)

スタッフ
監督:エドゥアール・モリナロ
製作:ジャック・ロワフェル・シリウス
脚本:G・モリス・デュムラン
撮影:ロベール・デュイアール
音楽:ジャズ・メッシャンジャーズ

キャスト
ロッシ / ロベール・オッセン
コラリーヌ / マガリ・ノエル
ベアトリス / エステラ・ブラン
トム / フィリップ・クレイ
カッシーニ夫人 / ジャンヌ・マルカン
キャリオ / ジャック・ダクミン
メルラン / ロベール・ロンベール
カミール / フランソワ・ダルボン
カレル / ウィリアム・サバティエ

日本公開: 1959年
製作国: フランス ラ・ソシエテ・デ・フィルム作品
配給: 新外映


あらすじとコメント

映画におけるモダン・ジャズの起用で繋げる。一番有名なのはマイルス・デイヴィスの即興演奏が功を奏した「死刑台のエレベーター」(1958)だろう。本作もフランス製フィルムノワールにして、MJQという人気バンドを起用した作品。

フランス、マルセイユ不良がかった工員ロッシ(ロベール・オッセン)は残業を終え、帰宅途中恋人ベアトリス(エステラ・ブラン)が、家族に隠れて家を抜けだそうとする姿を見つけた。彼女は、まだ結婚前だし、少しは遊びたいと彼を困らせて、結局、出向いて行った。

行先は、縫製屋を営む女性の場所だ。そこには彼女の他にも数名の若い女性たちが綺麗なドレスを着て待っていた。あきらめきれないロッシは、近くの暗がりで彼女を待つことにする。

そんな彼の姿を苦々しく車から見ている二人組の男たち。どうやらそこで待たれてはマズいことがあるようだ。

そして、片方の男が車から降りて、いきなりロッシに襲いかかった・・・

人身売買で暗躍する集団を描くノワール。

いたいけな処女たちに背伸びさせて、処女を奪い海外セレブに売り飛ばそうとする集団。

若い女性たちは、当然、そんな大人の悪だくみを知らない。恋人の青年も同様だ。

売買集団には、それぞれに分担があり、一見統率が取れているようにも見えるが、どうにも頼りない集団として描かれる。

内容よりも雰囲気で押し通す作劇で整合性や一貫性よりも、描きたいシーンだけに重きを置き、端折り過ぎるので、ちゃんと見ていても疑問符が付いたり、唐突な印象の場面転換がでてくる。

そもそも処女性を感じさせる女優が登場してこないのが難点だし、首領の子分で、いかにも「殺し屋」風情が暴走したり、マヌケな失敗をしたりする。

仲間割れを起こしたり、喧嘩で倒しただけなのか、殺したのかを曖昧にして、それでいて相手の出方は先刻承知たぜてな展開。

それをコメディ要素は全くなく、あくまで『ノワール』として描かれていくので、複雑な心情にも陥った。

しかもDVDでの字幕が、これまたお粗末の極み。

翻訳ソフトによる自動変換か、内容伝達よりも赤点が付かない直訳の印象だ。

考えようによっては、確かに、謎に満ちた雰囲気だけの映画に寄り添うように、意味不明の、一体いつの時代の日本語かと思わせる内容で、逆に画面に釘付けになったほど。

プロ風情なくせに稚拙な犯行内容から、いきなりの、手榴弾まで登場する派手な銃撃戦で、どんどん警察悪党ともに人が死んでいく展開など、『処女売買』から目を背けないために意識を持って制作したと冒頭に流れるテロップからは想像もできない、ある意味、興味深いノワール作品。

成程、この手の雰囲気で押し通す犯罪映画に、モダン・ジャズの即興演奏は緊張感を醸しだすのねと、微笑んでしまうような作品。

余談雑談 2020年10月3日
声優の富田耕生が亡くなった。84歳だったとか。久し振りに昔の『声優』の名前を聞いたが、どの程度現役で活動し続けていたのだろうか。 かなり昔から活躍していて、声のイメージ的には『頼れる親父』役が多かった気もする。 例えばアーネスト・ボーグナイ