今回の都々逸。
「惚れた数からふられた数を 引けば女房が残るだけ」
ある意味、「のろけ」か。でもな、熟年離婚と騒がれて久しいし、事実退職金目当てで、妻側から訴訟なんてこともあるとか。
いやなご時世だね、なんて嘯く人もいるかもしれぬが、そういう御仁に限って生涯独身を御貫きになってたりする。
こっちだって、齢を重ねてもまだまだ若いつもりでいようと、たまに『男の色気』なんぞを思ってみる。が、どうにも勘違いな気もする。
自分の立場からしか考えず、相手を思い遣らない。常に『自己中心』的言動だしな。
まあ、今や糾弾対象間違いなしの「男たるもの」ってやつ。それが通ったのも随分とむかし、そうさね、昭和のころかな。
確かに、当時と今ではかなりイメージが違うこともある。例えば、「老人」というと昔なら定年を迎える60歳なんて気もしていたが、今じゃ、最低でも70歳を超えないと怒られそうだ。確かに、昭和時代の60歳と今の60歳は全然違うよな。
で、もしも、70歳過ぎていよいよという時期になって、離婚とか言われたらどうするんだろう。
もし、都々逸じゃないが、若い頃遊び人を気取って元鞘に収まってはいるが、どうにも不自由を強いられる老後の状態を待ってから妻が反撃してきたらと考えると、恐ろしい。だって、勝てないよな。
そんな心配もいらないために、生涯独身という人もいるだろう。まあ、独りで始末を付けられるのだろうから羨ましい限り。
でも、人生を思い返して、一体、どの程度夢が叶ったり、想定内で人生を過ごせてきた人がいるんだろう。
何てこと考えるから、生きることに執着したくなるのかもな。
元気で長生き。これに尽きるけど、そうなる人生を送れる人って、どの程度いるのかね。
結局、夢や希望を引き算したら、何も残らなかった、てのはシャレにならないよな。