運転免許を更新した。とはいっても運転はしない。要は写真付証明書用である。
昨今は知らぬが、身分証を要求される場面では保険証ではなく、何かと顔写真付を要求された。
パスポートも10年以上前に失効してるから運転免許証のみだし、中々進捗しないマイナンバーは写真付じゃないからかとも思う。
で、免許の更新は徒歩で行ける警察署。手続き時間も1時間程度だった。これで5年間は安心である。
ところが70歳以上で実車訓練があると知った。一切、運転をしなくなって16年。事実、今の車ではドアの開錠やエンジンのかけ方まで覚束ない。
そんな自分が、遥か昔の教習所時代、試験に落ちてヒヤヒヤの連続で取得したことを思い出した。
実に嫌な予感がする。というよりも、もう一度更新したらその時点でおしまいだな。
それでも心配してないのは、交通網が発達している都会に住んでいるから。
それに比べ不便な場所に住む人は大変だろう。選択肢がないから。それは自分も車を使わぬ旅行をするとバス移動などで痛感する。
でも、だからといってゆっくり走れば歩道走行や、高速道の逆行も優しい目で見てよね、は通用しないよな。
で、事故になる。つまりは頑固で退化を認知しない人の事故は相も変わらず多い。
じゃ、どうするのよ。高齢者の事故を減らす手はあると思う。以前にも書いたかもしれぬがオートマを無くし昔のマニュアルに戻せば、ってこと。
自動判断装置の開発に金掛けるよりも、運転には様々な労力が必要と思い出させれば良いだけだ。そもそも便利がもたらした弊害だろ。
まあ、運転しないからの発想だろうが、パワー・ステアリング程度は残せば、踏み間違いならエンストで止まり、突っ込むことはないんじゃないのか。
折角、便利になったのに、逆行は今更嫌だと言うんだろ。そうだよな、人間はラクを覚えると面倒は忘れたがる。
でもさ、自分らの年齢以上なら覚えているでしょ。そもそも昔は選択肢はなく、エアコンや暖房まで後付けで高額だったよな。
それでも、移動や運搬には便利と有難がったもんだろうが。それを忘れて何でも進化と便利に踊らされる。
人間は不便な方が進化すると思うのは自分だけか。
後は人生の「あきらめ」さ。もうすぐ師走だし。