日本人の勲章 – BAD DAY AT BLACK ROCK(1955年)

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スタッフ
監督:ジョン・スタージェス
製作:ドア・シャリー
脚本:ミラード・カウフマン、ドン・マクガイア
撮影:ウィリアム・C・メラー
音楽:アンドレ・プレヴィン

キャスト
マクレディ / スペンサー・トレイシー
スミス / ロバート・ライアン
リズ / アン・フランシス
デヴィッド / リー・マーヴィン
ホーン / ディーン・ジャガー
ヴェリー / ウォルター・ブレナン
トリンブル / アーネスト・ボーグナイン
ワース / ジョン・エリクソン
ヘイスティングス / ラッセル・コリンズ

日本公開: 1955年
製作国: アメリカ MGM作品
配給: MGM


あらすじとコメント

前回の「狼は天使の匂い」(1972)で、自身の俳優人生の集大成的演技を披露したロバート・ライアン。長らく『悪役』としての脇役が多かった。本作もその一本。日本人としては、邦題からして妙に気になる作品だった。

アメリカ、アリゾナ田舎町にしばらく振りに特急列車が止まった。降りてきたのはたった一人。スーツ姿ながら左手のないマクレディ(スペンサー・トレイシー)だ。

彼は近くにいた住人に、更に奥にある場所に住む日本人「駒古」の家を尋ねた。突然、顔色が変わる住人。すると町のボスであるスミス(ロバート・ライアン)がやってきて、彼は戦争中に収容キャンプに送られて以来、戻ってきてないと告げる。

しかし列車は翌日まで来ない。なのでマクレディはホテルでジープを借りると駒古に家に行くことにした。

だが、着いてみると彼の家は何故か焼き払われていて・・・

アメリカの閉鎖的人間たちが繰り広げるスリラー・アクション。

戦争で日系二世の部下に命を助けられたが戦死し、のちに授与された勲章を父親に届けにきた主人公。しかし、閉鎖的で差別意識に満ちた片田舎では、戦争中に日本人住人に何が起きたかは容易に想像が付く。

そして同じアメリカ人でさえも、異邦人、すなわち「敵」として排除対象者にする。何故なら日本人側だと思うから。

そういった見地から考えると本作は、ある意味でリメイクされていると思う。「ランボー」(1982)である。

ヴェトナム戦争の英雄が、かつての戦友を訪ねてくる。しかし、ランボーの風貌からヒッピーでホームレス的印象を与え、地元の保安官は余所者として敵対心全開で接してくる。

地元民でない勇者が保守色バリバリの田舎で普通にしようとする。ところが、勝手な思い込みと自分らの閉鎖性には目を瞑り、優位性を前提に接してくる。

ゆえに余所者排除に走る。これは「イージー・ライダー」(1969)でも描かれた。

しかし、観客は真理を理解している。ここに映画人イコール社会派が多いという解り易いスタンスを浮かび上がらせる。ただ、ランボーと違い本作は日本人としての誇りを感じた。

他にも類似性として、本作は戦勝国アメリカが、阻害され差別された日系人への謝罪の念を表したとしたら、「ランボー」は、ヴェトナム戦争で戦場へ駆りだされた若いアメリカ人への贖罪を表した映画といえるだろう。

本作主役のトレイシーがスタローン、敵役ロバート・ライアンは保安官役のブライアン・デネヒィに該当するだろう。そして共通するのは、それぞれが自分の立場の『正義』に賭けていること。

そこにはお互いの立場での信念すら存在するから厄介なのだ。

ある意味での広角的視野としてのアメリカ人の『正義』だろう。そんな中で、「ランボー」では説明者として、上司のリチャード・クレンナが登場する。

本作でのトレイシーの設定が『大佐』で、クレンナも『大佐』。となるとクレンナこそ主人公なのだろうか。

何とも類似性とバランス感覚を喚起させられる。これこそが、時代背景と製作年度の違いかもしれぬ。

時代性であろうが、本作主人公の得意技は、日系人部下に教わった「空手チョップ」。あちらでは、ヴェトコンが知恵と技を使って米軍を陥れた「ブービー・トラップ」だ。

類似性は兎に角として、社会派を取り入れたアクション・スリラー作品として成立しているから、置換されたのだろうか。

90分にも満たない作品ながら、ジョン・スタージェス監督のシャープさが際立ち、トータルとして手慣れた力量が光る佳作。

余談雑談 2020年12月5日
師走に入った。今年は世界中の誰もが、良い意味でも悪い意味でも、従来と違った年末を迎えるに違いない。 一応、自分もその部類なのだが、日常は大して変わらない。毎日ザッピングなり、録画したTV番組を漫然と見て過ごす。 昨今、注目してるのは地方局。