スタッフ
監督:スタンリー・クレイマー
製作:スタンリー・クレイマー
脚本:ジョン・パクストン、J・L・パレット
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽:アーネスト・ゴールド
キャスト
タワーズ / グレゴリー・ペック
モイラ / エヴァ・ガードナー
オズボーン / フレッド・アステア
ホームズ / アンソニー・パーキンス
メアリー / ドナ・アンダーソン
ファレル / ガイ・ドールマン
提督 / ジョン・テイト
スワィン / ジョン・メイロン
ホスグッド / ローラ・ブルックス
日本公開: 1960年
製作国: アメリカ S・クレイマー・プロ作品
配給: ユナイト
あらすじとコメント
今回もフレッド・アステア出演作品。ただし、ミュージカルではなく、リアルに演技だけを披露した『近未来』SF作。
オーストラリア、メルボルン1964年、核戦争が勃発し北半球は全滅した。南半球は戦火を免れたが、放射能は風に乗り、徐々に近付いて来ていた。
そんな時期に、アメリカの原潜が寄港してきた。一応の『寄港』という報告ではあるが、アメリカの海軍基地に戻る場所がないのも事実であった。艦長はタワーズ大佐(グレゴリー・ペック)で、豪海軍所属で子供が産まれたばかりのホームズ少尉(アンソニー・パーキンス)が、連絡将校として4ヶ月の偵察航海に同行乗艦することになった。
妻子を残して任務に就くホームズは大佐を招いてパーティーを催す。そこには友人のモイラ(エヴァ・ガードナー)や、物理学者オズボーン(フレッド・アステア)もいて・・・
人類の終焉を静かに描くドラマ。
北半球では人類が死滅し、残る人類にも死の恐怖がジワリと近付いて来ている場所。
すでに石油や文明品は枯渇し始めて、自転車交通や馬で自動車を曳いたり、食料品もロクなものがない状況。
そんな状況下で人間はどのように残る時間を過ごそうとするのか。
メインとなるのは原子力潜水艦によるアメリカの現状偵察と、その顛末。
艦長と女性のラブロマンス、赤子が生まれたばかりの若い夫婦、カーレースに心血を注ぐ物理学者たちの姿が描かれていく。
劇的に盛り上げる内容はなく、既に人類の8割以上が死滅している状況。なので、何処をどう切り取っても、静けさばかりが際立つ。
終末を迎えるにあたり強奪や暴徒化といった騒動は敢えて描かれない。誰もが静かに、だが、間違いなく近づいて来る最期に向かっている。
真綿で首を締めてくる進行。例えば、被爆破壊されたはずのサン・フランシスコに一切、暴動の痕跡もなく建造物も崩落していない状態が映しだされ、ただ、ひたすら人っ子一人いない寂寥感のみで押してくる。
まるで、核戦争でなく、ウィルスで死んでいったかのような印象すらある。その上、大人の対応を取り、毅然と死に直面していける人間ばかりなので諦念感よりも性善説という、どこか胡散臭さも漂う。
核爆発での被爆死亡ではなく、汚染で死に至る肉体的変化などは、イメージすら出来なかったのであろう。
ただ、核武装競争をしていた米ソの冷戦が、当時、どれだけの不安を人類に与えていたのか。
しかもネヴィル・シュートによる原作が書かれたのは1957年で、有名なキューバ危機以前。なので、戦争一歩直前までいった1963年ほどの圧倒的恐怖感はない。
だが、そこにこそ、人間の想像する「人類終焉」という恐怖が沈殿していたとも考えられる。まあ本作とキューバ危機にインスパイアされた「博士の異常な愛情」(1964)に共通するのは『コカ・コーラ』というのも皮肉が効いているとは感じるが。
様々な検証なり、実験結果がある現在とは、かなり違うが、それこそが人間のイマジネーションを助長させるのだとも感じる。
ただし、それは直接的被爆を体験していない人間たちの思い描く「大人の論理」だとも感じさせてくれるSF作品。