スタッフ
監督:スタンリー・キューブリック
製作:スタンリー・キューブリック
脚本:S・キューブリック、アーサー・C・クラーク
撮影:ジェフリー・アンスワース
特撮:ダグラス・トランブル
キャスト
ボウマン / ケア・デュリア
プール / ゲイリー・ロックッド
フロイト / ウィリアム・シルヴェスター
スミスロフ / レナード・ロシター
月の監視員 / ダニエル・リクター
エレーナ / マーガレット・タイザック
ハルヴォーセン / ロバート・ビーティ
マイケルズ / ショーン・サリヴァン
HAL9000の声 / ダグラス・レイン
日本公開: 1968年
製作国: 米・英 S・キューブリック・プロ作品
配給: MGM
あらすじとコメント
前回の「渚にて」(1959)は『近未来SF』の設定だった。今回も、実際にその年が過ぎた作品。それでも未だに映画史上に残る逸品。
宇宙、月近辺フロイト博士(ウィリアム・シルヴェスター)が乗った宇宙船が国際宇宙ステーションに到着した。そこにはソ連の科学者たちがいて、博士に月面のクラヴィス基地と二週間も連絡が取れないと相談された。もしかして基地内に伝染病が蔓延しているのではとの噂まであると。訝しがるフロイトだが、実はアメリカ政府から極秘任務を受けていたのだ。
それはまさにクラヴィス基地に関すること。そのために彼は月面基地に行くのだ。任務とは月面に埋められた漆黒の石板状の物体が発見されて、何と400年前に埋められたものだと分かったのだ。その事実関係の調査であった。
そして近付き、写真を撮ろうとしたら、異様な金属音が・・・
映画史に燦然と輝くSF映画の金字塔。
人類がまだ類人猿であった頃に2001年の月面で発見された黒い板状のものが地球に存在していた。
観客はまず、その「人類の夜明け」から見せられ、まったく同じものが月に存在するという不思議な体験をする。それが意味するものは何なのか。
公開当時は、実にミステリアスで哲学的とさえ揶揄され、様々な映画評論家がこぞって推理したものだ。
初見の頃、自分はまだ子供で内容は全く理解できなかった。その後、リバイバル公開されて、シネラマ方式での劇場で鑑賞したが、やはり理解不能であった。
しかし、キューブリックの映像表現は見事なまで完璧で、約30年後の2001年は間違いなくこの状況が到来しており、まるで未来に撮影されたドキュメント・フィルムを観させられている感覚に陥った。
どの画面を取ってもキューブリックの繊細で緻密、それでいて傲慢さを感じさせるショットの連続。
ツッコミを入れたい映画ファンは小さな間違い探しを徹底的にして、2ヶ所見つけたと話題になったほど。
要はそれ以外は完璧であるという証左。無重力感や、宇宙船、衣装、宇宙服に至るまで、本当にリアルである。
何せ、地球と月を結ぶ宇宙船には、のちに倒産する『パン・アメリカン航空』のロゴが入っている。
そして映画史上、最高なるクラシック音楽の起用法にも感激するだろう。しかもSF映画で、である。
ここにも監督の狂気に満ちた感性に鳥肌が立つ。
終盤、精神構造と知的理性とのぶつかり合いと融合の象徴としてのまさしくドラッグ的『トリップ』と呼ぶにふさわしい長い場面が登場してくる。
これは劇場で見るたびに眠気を催した。催眠術にかけられトランス状態に陥った気分になったのだ。
しかし、映画としては非常に印象的に登場してくる『黒い板』が人類の進歩を表しているのは間違いないだろう。
しかし、人類は前のめりが過ぎて、いずれは自分らに敗退し、衰退していくという示唆にも富んでいる。
理性を駆使した技術力の進歩がもたらす人間の価値観なり、進歩の進捗具合にこそアドレナリン分泌を感じる厄介な『理性』。それは単純なる『生の欲求』以上に、理論のみならず、実際に武装化、組織化し騙し合ったり奪い合ったりする存在になる。
2001年はとっくに過ぎ去り、本作のような宇宙旅行は実現していない。しかし、キューブリックが描きたかった人類の『驕り』は、加速度がついたとも思う。
そしてキューブリックは死ぬ前に映画化を模索してたのが、後にスピルバーグによって映画化された「AI」(2001)なのだから、キューブリックの心配は的中したとも感じる。
しかもできたのが2001年なのだから、スピルバーグもどれほど影響を受けているかが推察されよう。
長尺で難解さを喚起させる作品だが、一生に一度は見るべき映画。しかも、できれば劇場の大画面で。
それこそ映画を鑑賞する愉悦に鳥肌が立ち続ける、まさに、映画が到達したひとつの頂点であることに触れられるであろう秀作。